現在、サントリー美術館で開催されているのは、
“四百年遠忌記念特別展 大名茶人 織田有楽斎”という展覧会です。
(注:展示室内の写真撮影は、特別に許可を頂いております。)
本展の主役は、この人↓
狩野山楽《織田有楽斎像》 古㵎慈稽賛 一幅 元和8年(1622) 正伝永源院
【展示期間:2/28~3/24】
織田有楽斎こと織田長益。
あの織田信長の13コ下の弟で、
「有楽町」の地の由来にもなったとも言われる人物です。
ちなみに。
本能寺の変で信長が襲われた時、有楽斎は、
信長の嫡男である信忠とともに二条城に籠っていました。
その際、信忠は親王を逃がした後に自害したのに対し、
長益は城を抜け出し、一説には岐阜へと向かったとされています。
そんなエピソードから彼に付けられたあだ名が、「逃げの有楽」です。
展覧会の第1章では、有楽斎にまつわる数々の資料を交えながら、
果たして、その不名誉なレッテルは正しいのか?捏造なのか?を紹介。
戦国フリークのマニア心をくすぐる展示となっています。
織田氏系譜 一巻 織田長清 江戸時代 17世紀 正伝永源院 【通期展示】
さてさて、本能寺の変を生き延びた有楽斎は、
その後、秀吉に仕え、さらにその後は、家康に仕えました。
武人としての才能は「・・・。」でしたが、
外交官としての才はあり、外交交渉で数々の成果を上げています。
また、有楽斎は茶人としての才も秀でており、
その茶風は有楽流として、現在まで受け継がれているほど。
本展の2章と3章では、有楽斎の茶人としての側面にスポットが当てられています。
会場には、《大井戸茶碗 有楽井戸》を筆頭に、
重要美術品《大井戸茶碗 有楽井戸》 一口 朝鮮王朝時代 16世紀 東京国立博物館
Image: TNM Image Archives 【通期展示】
有楽斎が所持した、あるいは、
有楽斎が好んだと伝わる茶道具の名品が大集結!
さらには、伊達政宗や古田織部らとの、
茶人としての交流を示す書状の数々も紹介されています。
写真手前:烏図真形釜 銘 濡烏 室町時代 15世紀 東京国立博物館 【通期展示】
これまであまりフィーチャーされることがなかった有楽斎ですが。
この展覧会を機に、再評価が高まるかも。
特に歴史やお茶に興味がある方は、是非、この機会を逃しませんように。
ちなみに。
第3章の床に、何やら気になるものが書かれていました。
DAZNのロゴのようにも見えますが、
こちらは、国宝の茶室『如庵』の間取りを再現したものです。
実は、この如庵を建てた人物こそが、有楽斎。
建仁寺の塔頭・正伝院を有楽斎が再興した際に、建造したものです。
扁額「如菴」 一面 江戸時代 18世紀 正伝永源院 【通期展示】
余談ですが、この『如庵』という名前は、
有楽斎のクリスチャンネーム「Joan」に由来しているという説もあるとのこと。
さてさて、展覧会のラストで紹介されていたのは、
そんな如庵もあった正伝院に伝わる寺宝の数々です。
狩野山楽《蓮鷺図襖》 十六面 江戸時代 17世紀 正伝永源院 【通期展示】
それらの中には、有楽斎の手作りと伝わる茶碗も含まれていました。
有楽斎手造茶碗 桃山~江戸時代 16~17世紀 正伝永源院 【通期展示】
個人的に最も印象に残っている正伝院の寺宝が、こちら。
蛸足香炉 室町時代 15~16世紀 正伝永源院 【展示期間1/31~2/26】
室町時代に作られたという《蛸足香炉》です。
パッと見は、火星人のようでした。
もしくは、『攻殻機動隊』に登場するアレのよう。
それと、もう一つ印象に残っているのが、《波に卯図》。
織田頼長《波に卯図》 江戸時代 17世紀 正伝永源院 【展示期間1/31~2/26】
描いたのは、有楽斎の次男、織田頼長です。
上手すぎもせず。
かといって、下手すぎもせず。
絶妙のゆるさを漂わせていました。
ゆるいといえば、仁阿弥道八による《御本立鶴写茶碗》も。
仁阿弥道八《御本立鶴写茶碗》 江戸時代 19世紀 正伝永源院 【展示期間1/31~2/26】
キャプションには、「立鶴」とありますが、
そう言われてみれば、まぁ、鶴にも見えなくもないような。
生きている鶴というよりは、鶴の骨格標本のようです。
おめでたさが半減、いや、激減している気がします。
┃会期:2024年1月31日(水)~3月24日(日)
┃会場:サントリー美術館
┃https://www.suntory.co.jp/sma/exhibition/2024_1/
~読者の皆様へのプレゼント~
“織田有楽斎展”の無料鑑賞券を5組10名様にプレゼントいたします。
展覧会名・住所・氏名・電話番号を添えて、
https://ws.formzu.net/fgen/
なお、〆切は2月22日です。