今年2024年は、大分県大分市に生まれ、
大正から昭和にかけて活躍した日本画家・福田平八郎の没後50年の節目の年。
それを記念して、現在、大阪中之島美術館では、
大阪の美術館では初となる福田平八郎の大規模回顧展、
“没後50年 福田平八郎”が開催されています。
なお、大阪の後は、彼の故郷である大分県立美術館でに巡回するそうです。
出展されているのは、史上最大規模となる120点以上!(前後期で展示替えあり)
初期から晩年までの作品が万遍なく取り揃えられています。
こちらの《安石榴》は、初期に描かれた貴重な作品のうちの1点。
いわゆる福田平八郎らしい、
トリミングを活かしたモダンさは、まだ見受けられません。
むしろ、その真逆も真逆で、
描写は、執拗なくらいに写実的であり、
かつ、執拗なくらいに画面が埋め尽くされています。
猫も可愛くないですし(※個人の見解です)。
と、《安石榴》の時点では、
彼らしさは微塵も感じられませんが、
その6年後に発表された《朝顔》では、センスがちらつき始めています。
さらに、その6年後に発表されたのが、
福田平八郎の代表作中の代表作である《漣》。、
明治以降の絵画としては数少ない重要文化財に指定されている逸品です。
こちらの《漣》は、銀箔に描かれている印象を受けますが、実はそうではありません。
当初、福田が表具師に発注したのは、銀箔の屏風だったそう。
ところが、何がどう間違ったのか、届いたのは金箔仕立ての屏風でした。
しかし、出展の〆切はもうそこまで迫っています。
今からやり直してもらうほどの時間はありません。
そこで、平八郎は賭けに出ました。
金箔の屏風の上に、プラチナ箔を重ねる荒技に出たのです。
その結果、プラチナ箔オンリーよりも、
プラチナ箔on金箔の方が、より太陽光を浴びた水面らしくなったのでした。
ピンチはチャンス、とはまさにこのことですね。
なお、平八郎は《漣》以降も、水の表現に挑み続けていたそうで、
本展では、《漣》のおよそ16年後に描かれた《水》も出展されています。
《漣》とはまた違った、水の抽象的な表現です。
色合いと言い、スタイルと言い、
どことなく北欧デザインを彷彿とさせるものがありました。
マリメッコで販売されていても、まったく違和感は感じないでしょう。
この作品が50年以上も前に描かれたものだなんて。
改めて、平八郎の先進的なデザインセンスに驚かされます。
ちなみに。
そんなセンスが絶頂の時期(?)に、
新雪と氷をモチーフにそれぞれ描いた作品がこちら↓
やはりどちらも北欧デザイン感があります。
このセンスは世界に通用すること請け合いです。
いずれ「世界のヘイハチロウ」と呼ばれることでしょう。
その代表作の数々が心行くまで堪能できる展覧会。
関東圏には巡回しませんが、
大阪まで足を運ぶ価値は大いにありました。
さてさて、昭和36年に日展に大作を出品したのを最後に、
それ以降の平八郎は、百貨店などの小規模な展覧会に小品を発表するにとどまります。
その頃に描かれた作品は、それまでのセンスキレキレの作風とは変わって。
どこか子どもっぽいタッチになっていました。
というのも、後半生の平八郎も、ピカソ同様に、
子どもが描く純粋な絵に心を惹かれていたのだとか。
絵の道を極めれば極めるほど、その境地に辿り着くのかもしれません。
ちなみに。
展覧会のラストを締めくくるのは、
大分県立美術館以外では初めての公開、
しかも、修復後初公開となる《雲》です。
他の平八郎作品同様に、センスがキレッキレで、
初めて実物を目にできて、大いに感動はしたのですが。
どうしても頭の中で、
♪青雲それは 君がみた光~
というフレーズがリピート再生されてしまいました。