愛知県愛知郡鷹場村大字則武(のりたけ)の地に、
1904(明治37)年に創業した高級洋食器ブランド、ノリタケ。
その創立100周年を記念して、2001年に、
本社に隣接する工場跡地に作られた複合施設、それがノリタケの森です。
敷地内には、当時を偲ばせる倉庫や煙突、
レストランやカフェ、ライフスタイルショップ、
さらに、ノリタケの森というだけに、
自然豊かなビオトープも有しています。
また、2021年にはノリタケの森とは直接関係ないですが、
隣接する形でイオンモール Nagoya Noritake Gardenも誕生したそうです。
そんなノリタケの森の一角にあるのが、
有料施設のクラフトセンター・ノリタケミュージアム。
1階と2階にあるクラフトセンターは、
ノリタケのボーンチャイナ製造工場でもあり。
生地の製造から絵付けまでの工程を、
職人さんたちが実際に行っている様子を、間近で目にすることができます。
また、3、4階のノリタケミュージアムは、
基本的に、常設展示となっているようで。
明治から昭和初期までに製造されたノリタケ、
いわゆる「オールドノリタケ」の名品の数々が展示されています。
さらには、貴重な当時の画帖も展示されていました。
ヨーロッパのものと比べても、
クオリティは大差なく、しかも安価。
それゆえ、ノリタケは特にアメリカで人気が高かったそうです。
しかも、デザインの好みは、日々変わっていくため、
船移動が当たり前だった当時にもかかわらず、2人のノリタケの社員が、
入れ替わり立ち替わり、最新のトレンド情報を日本に持ち帰っていたのだとか。
ちなみに。
アメリカでのノリタケ人気を裏付ける展示品が、こちらです↓
書き込まれているのは、なんとあのベーブ・ルースのサイン。
ベーブ・ルースが、昭和9年に行われた日米野球で、
メジャーデビュー選抜チームの一員として来日した際に、
ノリタケの工場を見学しに来たそうで、その時にサインされたものだそうです。
さてさて、今年2024年は、ノリタケが創立して120年目の節目の年。
それを記念して、現在、ノリタケミュージアムの一角では、
“にほんの洋食器ものがたり 120年のみちのり”が開催されています。
創立から現代にいたるまで。
この120年にノリタケが発売してきた洋食器を通観する展覧会です。
まず、ノリタケの歴史を語る上で、
絶対に外すことができない商品が、こちら↓
1914年に発売された日本初のディナーセット「セダン」です。
ノリタケの前身となる森村組が、
洋食器に相応しい“白色硬質磁器”の開発に着手したのは、1894年のこと。
しかし、純白の生地の開発は困難を極め、
理想とする生地が完成するまでに、10年の月日が流れました。
そう、それを機に、ノリタケが創立するわけですが、
ディナーセットの要となる25㎝ディナー皿がどうしても上手く作れず。
何度作っても、皿の底が平らにならなかったのです。
かくして、さらなる開発・研究が続けられ、
欧米にも引けを取らない25㎝ディナー皿が完成したのは、また10年後のこと。
そう、「セダン」は苦節20年の末に完成した日本初のディナーセットなのです。
こうした「セダン」のようなシンプルな製品も販売しつつ、
創立当時の120年前というと、世はアール・ヌーヴォーの時代。
もちろん時代に合わせて、アール・ヌーヴォー風の製品を販売していました。
時代が進み、流行が変われば、
アール・デコ風、ミッドセンチュリー風の製品も販売しています。
ちなみに。
1950年代の超ベストセラー製品というのが、こちら↓
戦前の和食器のデザインを洋食器に取り入れたもの。
この頃から、海外向けではなく、
国内向けのアイテムにウェイトが置かれるようになってきました。
そんな国内向けアイテムの中で、
個人的に一番印象に残っているのが、
こちらの「若い人のための新しい食器」。
その名も、ヤンガーイメージチャイナだそうです。
キャプションによると、
“バハマ諸島をイメージした個性的なデザイン”とのこと。
どの辺がどうバハマ諸島なのでしょう??
というか、かつて若者の間で、
バハマ諸島が人気だった時代があったとは!
知られざる昭和史です。
なお、展覧会のラストを締めくくるのは、
120年間にノリタケで作られた25㎝ディナー皿の数々。
約200枚が壁にズラリと並べられたさまは圧巻です。
目を皿のようにしてご鑑賞くださいませ。