長野県の塩田平にある無言館へ行ってきました。
正式名称は、戦没画学生慰霊美術館・無言館。
その名からも、なんとなく想像がつくように、
若くして戦没した画学生の遺作・遺品を収蔵、展示している美術館です。
「戦死した画学生の絵の前に立つと悲しくて悔しくて何もいえなくなる。だから無言館なのだ」
とは、館主・窪島誠一郎さんの談。
そんな館主の窪島さんは、この無言館をオープンさせるために、
出征経験を持つ画家の野見山暁治さんと一緒に日本全国を回り、
戦没画学生の遺族を訪問しては、遺作を蒐集したのだそうです。
しかも、無言館は、窪島さんの私財を投じて運営されているのだとか。
本当に、その活動には、心から頭が下がります。
それゆえ、かねてより一度は訪れてみたいと思い続けていた美術館でした。
では、いよいよ無言館の中へ。
ちなみに、美術館としては珍しく、料金は後払い制。
出口でお金を払う仕組みとなっていました。
というわけで、財布を出すことなく、そのまま入り口のドアを開きます。
そして、無言館の中へ一歩足を踏み入れました。
「・・・・・・・・・・・・(暑い。)」
戦死した画学生の絵の前に立つと悲しくて悔しくて何もいえなくなる。
というか、それ以前に。
尋常でないほど館内が蒸し暑くて、思わず無言になってしまいました。
28歳という若さでルソン島で戦死された興梠武さんの 《編みものする婦人》 や、
同じく28歳で、ブラウン島において戦死された清水正道さんの 《婦人像》 など、
どちらかと言えば、あまりよろしくない状態で展示されていましたが。
このコンディションの悪さは、
戦争の混乱のせいなのか、はたまた、このムシムシする館内のせいなのか。
せっかく道半ばで戦死してしまった画学生の作品を展示するのですから、
美術品を展示するのに最高の・・・いや、せめて最低限のケアはしてあげて欲しいものでした。
また、戦争の悲惨さ、やるせなさを訴えるという意味では、
大変意義のある展示だとは思いましたが。
美術作品として観賞した場合は、画学生の作品ゆえ、まだまだ荒削りなものが多いのも事実。
普通の美術館とは文脈が違い過ぎて、比べるわけにはいかない気がしました。
なので、1つ星。
ちなみに、2009年に無言館の第二展示室として、
「傷ついた画布のドーム」 と呼ばれる展示室がオープンしています。
こちらでは、遺族から寄せられた作品が中心に展示されています。
無言館のチケットで鑑賞することが可能なので、入ってみることにしました。
と、次の瞬間。
「・・・・・・・・・・・・(イイ匂い。)」
戦死した画学生の絵の前に立つと悲しくて悔しくて何もいえなくなる。
というか、それ以前に。
併設されたレストランから、それはそれはイイ匂いが漂ってきて、思わず無言になってしまいました。
いやいや、展示室に美味しそうな匂いを漂わせるのはダメです。
戦没した画学生たちの作品が立ち並ぶ展示室に美味しそうな匂いを漂わせるのは、特にダメです。
ちなみにちなみに、もともと無言館は、
村山槐多など早逝した画家のデッサンを中心に展示した信濃デッサン館の分館としてオープンした美術館。
ここまで来たからには、と、信濃デッサン館も観賞してまいりました。
「本当にデッサンだけしかないのかな?」
と思いきや、村山槐多の代表作 《尿する裸僧》 をはじめ、
油彩画が何点も展示されており、意外と見応えはありました。
早逝したとは言え、美術史に名を残している画家ばかりが紹介されていますので、
アート的な視点だけで言えば、圧倒的に無言館よりも観賞に耐えうる美術館です。
ともあれ、2つの美術館を巡り、
死というものに、必然的に (強制的に?) 考えさせられ、いつになく神妙な気持ちになりました。
その気持ちを大事に抱えたまま、駅に戻ろうとしたのですが・・・。
「すいません。駅に向かうシャトルバスはどこで乗れますか?」
「え~と、今日の最終バスは行ってしまいましたよ」
「えっ?!まだ閉館時間 (=18:00) まで10分ありますよね」
「いや、最終バスは、16:31です」
「・・・・・・・・・。」
普通、閉館時間に合わせて、最終バスを出しませんかね (泣)
「ちなみに、ここから駅まで歩くと、どれくらいかかりますか?」
「30分くらいでしょうか」
「・・・・・・・・・。」
帰り道、終始無言。
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無言館・信濃デッサン館
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