東京藝術大学大学美術館で開催中の “国宝 興福寺仏頭展” に行ってきました。
こちらは、興福寺が所蔵する国宝・重要文化財を含む50点以上を紹介する今年最大の仏教美術展。
展覧会のメインは、何と言っても、国宝の 《銅造仏頭》 です。
国宝 《銅造仏頭》 白鳳時代 興福寺蔵
その表情から、 “白鳳の貴公子” とも称される興福寺を代表する名品です。
ちなみに、頭だけで、高さが約1メートル。
破損仏ながらも、国宝に指定されているという極めて珍しい仏像です。
ところで、この 《銅造仏頭》 は、一体なぜ、頭しかないのでしょう??
そもそもは、山田寺というお寺のご本尊の如来像だったそうで。
もちろん頭から下も存在していたようです。
文治三年 (1187) に、興福寺の堂衆たちが、山田寺より移送。
興福寺東金堂の本尊の薬師如来像として収められたのです。
しかし、応永十八年 (1411) に、
落雷により発生した五重塔の火が、東金堂に燃え移ったため、頭部を残して焼失してしまいます。
そして、その頭部も行方不明に・・・。
時は一気に流れ、昭和十二年 (1937) 、
東金堂の現・本尊である薬師如来像の台座の中から、 《銅造仏頭》 が発見されました。
無いと思っていたら、台座の中に。
幸せは、実は手の届くところにあった―。
まるで、お伽話のような (?) エピソードです。
そんな数奇な運命を辿った上でも、この穏やかな表情。
(そんな数奇な運命を辿ったからこその、この穏やかな表情かもしれませんね)
ともあれ、見ているだけで癒される、いや、何かを赦されるような気がします。
そんな貴重な 《銅造仏頭》 が、東京に。
しかも、今回の展覧会では、360度すべてのアングルから拝むことが可能になっています。
(注:館内の写真撮影は、特別に許可を頂いております)
「仏像は、お寺に安置されている状態で観るのがベスト!」 という仏像ファンも、多いと聞きますが。
僕個人としては、興福寺の国宝館で、 《銅造仏頭》 を観た時以上に、
今回の展覧会の会場で、 《銅造仏頭》 を観た時の方が感動を覚えました。
仏像として、という以上に、彫刻として美しい姿。
それだけに、やはり360度すべてのアングルから拝観できる機会は貴重です。
さて、そんな 《銅造仏頭》 を守るように配置されているのが、国宝 《木造十二神将立像》 です。
現在も現役で東金堂にて薬師如来坐像を警備している彼らですが。
元々は、今は 《銅造仏頭》 となっている薬師如来像を守るために鎌倉時代に制作されたもの。
しかし、当の薬師如来像が行方不明になってしまったため、
現在東金堂に安置されている薬師如来坐像を守ることになったのだそうです。
今回の展覧会では、実に600年ぶりに、正しい主従関係が復活!
こころなしか、 《木造十二神将立像》 の皆さんに、やる気が漲っているように感じられました (笑)
《頞儞羅大将像(木造十二神将)》 鎌倉時代 興福寺蔵
国宝の十二神将と言えば、地下の展示室にも国宝の十二神将が。
こちらは、厚さ3センチほどのヒノキの平板から彫り出した十二面のレリーフで。
《板彫十二神将像》 と呼ばれているものです。
2組の国宝の十二神将がすべて揃った形で寺外で公開されるのは、今回が初めてとのこと。
《木造十二神将立像》 のフィギュア的なカッコよさも、捨てがたいのですが。
《板彫十二神将像》 に漂う妙なノリやコミカルさも、捨てがたし。
ちなみに、個人的に一番お気に入りの 《板彫十二神将像》 は、 『招杜羅大将像』 です。
平安時代 興福寺
どことなくB'zの稲葉さんを彷彿とさせるポージングが、お気に入りの理由です (笑)
正直なところ、 《銅造仏頭》 と、2組の国宝の十二神将だけで、十分お腹いっぱいになれますが。
この他にも、興福寺が所有する貴重な至宝が多数。
さらには、調布の深大寺が所蔵する重要文化財 《銅造釈迦如来倚像》 も特別陳列されるというボーナスまで。
もうお腹はパンパンです (笑)
5位以内を目指して、ランキングに挑戦中!(現在11位です)
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こちらは、興福寺が所蔵する国宝・重要文化財を含む50点以上を紹介する今年最大の仏教美術展。
展覧会のメインは、何と言っても、国宝の 《銅造仏頭》 です。
国宝 《銅造仏頭》 白鳳時代 興福寺蔵
その表情から、 “白鳳の貴公子” とも称される興福寺を代表する名品です。
ちなみに、頭だけで、高さが約1メートル。
破損仏ながらも、国宝に指定されているという極めて珍しい仏像です。
ところで、この 《銅造仏頭》 は、一体なぜ、頭しかないのでしょう??
そもそもは、山田寺というお寺のご本尊の如来像だったそうで。
もちろん頭から下も存在していたようです。
文治三年 (1187) に、興福寺の堂衆たちが、山田寺より移送。
興福寺東金堂の本尊の薬師如来像として収められたのです。
しかし、応永十八年 (1411) に、
落雷により発生した五重塔の火が、東金堂に燃え移ったため、頭部を残して焼失してしまいます。
そして、その頭部も行方不明に・・・。
時は一気に流れ、昭和十二年 (1937) 、
東金堂の現・本尊である薬師如来像の台座の中から、 《銅造仏頭》 が発見されました。
無いと思っていたら、台座の中に。
幸せは、実は手の届くところにあった―。
まるで、お伽話のような (?) エピソードです。
そんな数奇な運命を辿った上でも、この穏やかな表情。
(そんな数奇な運命を辿ったからこその、この穏やかな表情かもしれませんね)
ともあれ、見ているだけで癒される、いや、何かを赦されるような気がします。
そんな貴重な 《銅造仏頭》 が、東京に。
しかも、今回の展覧会では、360度すべてのアングルから拝むことが可能になっています。
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「仏像は、お寺に安置されている状態で観るのがベスト!」 という仏像ファンも、多いと聞きますが。
僕個人としては、興福寺の国宝館で、 《銅造仏頭》 を観た時以上に、
今回の展覧会の会場で、 《銅造仏頭》 を観た時の方が感動を覚えました。
仏像として、という以上に、彫刻として美しい姿。
それだけに、やはり360度すべてのアングルから拝観できる機会は貴重です。
さて、そんな 《銅造仏頭》 を守るように配置されているのが、国宝 《木造十二神将立像》 です。
現在も現役で東金堂にて薬師如来坐像を警備している彼らですが。
元々は、今は 《銅造仏頭》 となっている薬師如来像を守るために鎌倉時代に制作されたもの。
しかし、当の薬師如来像が行方不明になってしまったため、
現在東金堂に安置されている薬師如来坐像を守ることになったのだそうです。
今回の展覧会では、実に600年ぶりに、正しい主従関係が復活!
こころなしか、 《木造十二神将立像》 の皆さんに、やる気が漲っているように感じられました (笑)
《頞儞羅大将像(木造十二神将)》 鎌倉時代 興福寺蔵
国宝の十二神将と言えば、地下の展示室にも国宝の十二神将が。
こちらは、厚さ3センチほどのヒノキの平板から彫り出した十二面のレリーフで。
《板彫十二神将像》 と呼ばれているものです。
2組の国宝の十二神将がすべて揃った形で寺外で公開されるのは、今回が初めてとのこと。
《木造十二神将立像》 のフィギュア的なカッコよさも、捨てがたいのですが。
《板彫十二神将像》 に漂う妙なノリやコミカルさも、捨てがたし。
ちなみに、個人的に一番お気に入りの 《板彫十二神将像》 は、 『招杜羅大将像』 です。
平安時代 興福寺
どことなくB'zの稲葉さんを彷彿とさせるポージングが、お気に入りの理由です (笑)
正直なところ、 《銅造仏頭》 と、2組の国宝の十二神将だけで、十分お腹いっぱいになれますが。
この他にも、興福寺が所有する貴重な至宝が多数。
さらには、調布の深大寺が所蔵する重要文化財 《銅造釈迦如来倚像》 も特別陳列されるというボーナスまで。
もうお腹はパンパンです (笑)
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