今年2014年は、日本の写真開祖の一人・下岡蓮杖 (1823~1914) の没後100年の節目の年。
それを記念して、現在、東京都写真美術館にて、
“没後百年 日本写真の開拓者 下岡蓮杖” が開催されています。
日本写真史における超重要人物ながら、
意外にも、下岡蓮杖の大々的な回顧展は、これまでに開催されたことがなかったそうです。
その理由は、 「ほら吹き蓮杖」 とあだ名されるほど、ウソの多い人物だったから (笑)
ところが、最近の研究で、下岡蓮杖の実像が少しずつ明らかになってきたとのこと。
そこで、今回、満を持しての下岡蓮杖展の開催の運びとなったようです。
さてさて、下岡蓮杖=写真家とばかり思っていましたが、実は、そのスタートは絵師だったのだそうです。
それも狩野派の絵師。
師匠は、狩野菫川中信です。
その師匠から、 「菫」 の一字をもらって、狩野菫円と名乗っていたのだとか。
狩野菫円時代の作品は、ほとんど残っていないそうですが、
唯一残っている 《阿蘭陀風俗図》 が、今回は特別に出展されています。
そのまま絵師の道を進むかと思いきや、当時はまだ珍しかった写真と出合いカルチャーショックを受け、
「世にこんなすごい技術があるのに、
どうして一つ一つ筆を使って画いていく必要があるのか」
と、写真家の道へ転向を決意します。
ただ、師匠である狩野菫川中信の恩を忘れないためにも、
蓮の根 (=菫) の形をした杖を、江戸神田の木工師に作ってもらいました。
師匠なので、自分の身長よりも大きなサイズで (笑)
この蓮の杖を持ち歩いていたことから、いつしか “蓮杖” と呼ばれるようになったのだとか。
ちなみに、本名は、桜田久之助。
下岡という名字は、下田の岡方村出身であることから、ある時を境に自称し始めたとのことです。
写真家に転向したとはいうものの、
ほぼ独学で写真撮影の技術を習得せざるを得なく、生活は大変厳しかったそうです。
そんな試行錯誤の日々の末、ついに写真撮影に成功。
その頃の貴重な写真も、もちろん展示されていました。
《木村政信像》
その後は、写真の技術も安定し、写真師として第一線で活躍。
そんな時代に撮られた蓮杖の写真も、たくさん展示されています。
で、このまま一流の写真家として人生を終えて、めでたしめでたし・・・・・とはならず。
再び、下岡蓮杖は絵師として歩み始めるのです。
展覧会では、その頃に描かれた下岡蓮杖の作品も多数展示されました。
ちなみに、晩年の絵画作品には、 「写真元祖」 という印章を用いていたそうです。
写真家なのか絵師なのか。
最後まで、どっちつかずな下岡蓮杖です(笑)
そんな下岡蓮杖の半生のせいで (おかげで?) 、
東京都写真美術館にしては珍しく、会場の半分近くが絵画で埋まっており、それが何だか新鮮でした。
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没後百年 日本写真の開拓者 下岡蓮杖
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