東京国立近代美術館で開催中の “声ノマ 全身詩人、吉増剛造展” に行ってきました。
こちらは、日本を代表する詩人・吉増剛造氏 (1939~) の多彩な創作活動を紹介する展覧会です。
文学館ではなく、美術館で詩人を紹介する展覧会は、おそらく初ではないかとのこと。
かなりチャレンジングな展覧会と言えましょう。
ちなみに、タイトルにある 『全身詩人』 というあだ名は、
今回の展覧会の担当学芸員さんによって命名されたものなのだとか。
「出たな、全身詩人、吉増剛造!」
なんだか、ショッカーの怪人のようです (笑)
また、展覧会のタイトルの 「声ノマ」 の 「マ」 がカタカナ表記なのは、
「魔」、「間」、「真」、「目」、「待」、「蒔」、「磨」、「交」、「舞」、「摩」、「増」 など、
様々な意味を込めているからとのこと。
この段階で、
“なんだか、難しそうな展覧会だなァ。。。”
と、嫌な予感がしていましたが。
会場に入ってみて、ビックリ!
覚悟をしていた以上に、難しかったです (笑)
難易度MAXの展覧会でした。
詩人の展覧会ではあるものの、吉増氏の詩はほとんど展示されていません。
東日本大震災の後から書き続けられている長編詩 〈怪物君〉 の自筆生原稿くらいなものです。
(注:館内の写真撮影は、特別に許可を頂いております。)
では、一体、何が展示されているのか?
例えば、吉増氏の日記であったり。
吉増氏が撮影した写真であったり。
吉増氏が自らの声を録音したカセットテープであったり。
それらが、布でゆるく仕切られた薄暗いスペースに、ポツネンと展示されていました。
吉増氏が多彩な表現をされていることは、十分にわかりましたが。
これらの展示物の数々を観て、どのように鑑賞を楽しめばいいのかは、最後までわからず。。。
さらに、アメリカの実験的な作曲家ジョン・ケージの生原稿の展示や、
演出家にして現代美術家・飴屋法水氏とのコラボレーション空間にいたっては、
「?????」
難易度が高すぎて、混乱してしまいました。
展覧会を鑑賞しに来ているはずなのに、
終始、脱出ゲームに参戦してるような感覚に陥っていた気がします。
詩人を紹介する展覧会を美術館で。
それも、詩そのものを展示するのではなく、
詩人が詩を生み出すという、根源的な部分を展示してみせるというのは、かなりチャレンジング。
それゆえに、実現させてみせたこの展覧会は、
学芸員さんや美術関係者から一定の評価を受けることになりましょう。
ただ、そういう評価を業界内で得るために開催した展覧会のように、僕は感じてしまいました。
鑑賞するお客さんのことは、そっちのけだったと言いますか。
チャレンジすることは、とても意義のあることだと思いますが。
私立ならともかく、国立の美術館がチャレンジするべきことだったのでしょうか。
う~ん。。。
1位を目指して、ランキングに挑戦中!(現在7位です)
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こちらは、日本を代表する詩人・吉増剛造氏 (1939~) の多彩な創作活動を紹介する展覧会です。
文学館ではなく、美術館で詩人を紹介する展覧会は、おそらく初ではないかとのこと。
かなりチャレンジングな展覧会と言えましょう。
ちなみに、タイトルにある 『全身詩人』 というあだ名は、
今回の展覧会の担当学芸員さんによって命名されたものなのだとか。
「出たな、全身詩人、吉増剛造!」
なんだか、ショッカーの怪人のようです (笑)
また、展覧会のタイトルの 「声ノマ」 の 「マ」 がカタカナ表記なのは、
「魔」、「間」、「真」、「目」、「待」、「蒔」、「磨」、「交」、「舞」、「摩」、「増」 など、
様々な意味を込めているからとのこと。
この段階で、
“なんだか、難しそうな展覧会だなァ。。。”
と、嫌な予感がしていましたが。
会場に入ってみて、ビックリ!
覚悟をしていた以上に、難しかったです (笑)
難易度MAXの展覧会でした。
詩人の展覧会ではあるものの、吉増氏の詩はほとんど展示されていません。
東日本大震災の後から書き続けられている長編詩 〈怪物君〉 の自筆生原稿くらいなものです。
(注:館内の写真撮影は、特別に許可を頂いております。)
では、一体、何が展示されているのか?
例えば、吉増氏の日記であったり。
吉増氏が撮影した写真であったり。
吉増氏が自らの声を録音したカセットテープであったり。
それらが、布でゆるく仕切られた薄暗いスペースに、ポツネンと展示されていました。
吉増氏が多彩な表現をされていることは、十分にわかりましたが。
これらの展示物の数々を観て、どのように鑑賞を楽しめばいいのかは、最後までわからず。。。
さらに、アメリカの実験的な作曲家ジョン・ケージの生原稿の展示や、
演出家にして現代美術家・飴屋法水氏とのコラボレーション空間にいたっては、
「?????」
難易度が高すぎて、混乱してしまいました。
展覧会を鑑賞しに来ているはずなのに、
終始、脱出ゲームに参戦してるような感覚に陥っていた気がします。
詩人を紹介する展覧会を美術館で。
それも、詩そのものを展示するのではなく、
詩人が詩を生み出すという、根源的な部分を展示してみせるというのは、かなりチャレンジング。
それゆえに、実現させてみせたこの展覧会は、
学芸員さんや美術関係者から一定の評価を受けることになりましょう。
ただ、そういう評価を業界内で得るために開催した展覧会のように、僕は感じてしまいました。
鑑賞するお客さんのことは、そっちのけだったと言いますか。
チャレンジすることは、とても意義のあることだと思いますが。
私立ならともかく、国立の美術館がチャレンジするべきことだったのでしょうか。
う~ん。。。
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