今年2017年は、太齋春夫 (だざいはるお 1907~1944) の生誕110年の節目の年。
それを記念して、現在、練馬区立美術館では、
“生誕110年記念 漆の画家 太齋春夫展” が開催されています。
(注:館内の写真撮影は、特別に許可を頂いております。)
と、サラッと紹介されたところで、
多くの方が、こう心の中でツッコんだことでしょう。
「誰だよ!知らない人の生誕なんか祝えないよ!!」
・・・・・まぁ、ですよね (笑)
ご安心ください (←?)。
僕も今回の展覧会を通して、初めてその名を知りました。
知ったかぶりをするのもなんなので、
太齋春夫に関する基礎情報は、HP上の解説をそのまま使わせて頂くことにいたしましょう。
太齋春夫は、仙台市長町に生まれ、
1932年 (昭和7)、東京美術学校図画師範科を卒業しました。
在学中より二科展に出品するなど油彩にその才を発揮していましたが、
漆芸家六角紫水らのすすめにより、卒業後から漆の研究をはじめ、
1933年 (昭和8)、台湾総督府殖産局嘱託となり、ここで漆の研究に没頭します。
翌年には、漆でフィルムをつくる漆膜の技法を開発し、特許を取得。
工芸品の製作のみならず、漆を絵画の領域にも活用し、多彩な制作を行いました。
1939年 (昭和14) には、ニューヨーク万国博覧会に
これまで培った技法を活かし漆器の衝立を出品して賞賛を博します。
漆の可能性を模索し、将来を嘱望された太齋でしたが、
1943年 (昭和18) に応召を受け、翌年、中国の湖南省平江県において帰らぬ人となります。
誤解を恐れずに言えば、漆の新たな可能性を見出した人物です。
太齋春夫は、その短い生涯で、漆に関する様々な特許を取得しているわけですが。
特に代表的なものが、こちら。
漆塗アルマイトモザイク。
漆器の最大の弱点と言えば、歪みや割れ。
特に、日本と気候が違う海外に輸出すると、
素地である木材が乾燥してしまい、トラブルになることが多々あったそうです。
そこで、太齋が思い至ったのが、素地を金属にしてしまおうというアイディア。
これならば、乾燥の心配はありません。
たくさんある金属の中で、彼が選んだのは、
廉価な素材であるアルマイト (アルミニウムを加工したもの。やかんによく使われている) 。
長い研究の末、そんなアルマイトに、漆を定着させる技術を編み出しました。
さらに、単なる研究者ではなく、アーティストであった彼は、
漆塗したアルマイトのピースをモザイク画に仕立て、アート作品へと昇華させたのです。
ちなみに、こちらは、上野の松坂屋から発注されたという漆塗アルマイトモザイクの 《夫人像》 。
食堂に飾られる予定だったそうなのですが。
残念ながら、最終的に上野の松坂屋には収められることはなかったとのこと。
せっかくの力作なのに。。。
なんだか太齋春夫が可哀相な感じになってきたので、
「なぜ松坂屋に作品は飾られなかったのか?
なぜ今日の今日まで忘れられた存在だったのか?」
その理由を考えてみました。
たぶんですが・・・
漆塗アルマイトモザイク作品だけでなく、
漆で描いた絵も含めて、“全体的に色が地味だから”。
それに尽きる気がします。
会場は、母が作る弁当くらいに、茶色茶色していました。
しかも、漆芸品を廉価にしたことは、発明としては素晴らしいことなのでしょうが。
作品として鑑賞すると、どうにも安っぽく感じてしまいました。。。
美術というよりも技術。
アートというよりもテクノロジーを楽しむ展覧会でした。
1位を目指して、ランキングに挑戦中!(現在7位です)
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それを記念して、現在、練馬区立美術館では、
“生誕110年記念 漆の画家 太齋春夫展” が開催されています。
(注:館内の写真撮影は、特別に許可を頂いております。)
と、サラッと紹介されたところで、
多くの方が、こう心の中でツッコんだことでしょう。
「誰だよ!知らない人の生誕なんか祝えないよ!!」
・・・・・まぁ、ですよね (笑)
ご安心ください (←?)。
僕も今回の展覧会を通して、初めてその名を知りました。
知ったかぶりをするのもなんなので、
太齋春夫に関する基礎情報は、HP上の解説をそのまま使わせて頂くことにいたしましょう。
太齋春夫は、仙台市長町に生まれ、
1932年 (昭和7)、東京美術学校図画師範科を卒業しました。
在学中より二科展に出品するなど油彩にその才を発揮していましたが、
漆芸家六角紫水らのすすめにより、卒業後から漆の研究をはじめ、
1933年 (昭和8)、台湾総督府殖産局嘱託となり、ここで漆の研究に没頭します。
翌年には、漆でフィルムをつくる漆膜の技法を開発し、特許を取得。
工芸品の製作のみならず、漆を絵画の領域にも活用し、多彩な制作を行いました。
1939年 (昭和14) には、ニューヨーク万国博覧会に
これまで培った技法を活かし漆器の衝立を出品して賞賛を博します。
漆の可能性を模索し、将来を嘱望された太齋でしたが、
1943年 (昭和18) に応召を受け、翌年、中国の湖南省平江県において帰らぬ人となります。
誤解を恐れずに言えば、漆の新たな可能性を見出した人物です。
太齋春夫は、その短い生涯で、漆に関する様々な特許を取得しているわけですが。
特に代表的なものが、こちら。
漆塗アルマイトモザイク。
漆器の最大の弱点と言えば、歪みや割れ。
特に、日本と気候が違う海外に輸出すると、
素地である木材が乾燥してしまい、トラブルになることが多々あったそうです。
そこで、太齋が思い至ったのが、素地を金属にしてしまおうというアイディア。
これならば、乾燥の心配はありません。
たくさんある金属の中で、彼が選んだのは、
廉価な素材であるアルマイト (アルミニウムを加工したもの。やかんによく使われている) 。
長い研究の末、そんなアルマイトに、漆を定着させる技術を編み出しました。
さらに、単なる研究者ではなく、アーティストであった彼は、
漆塗したアルマイトのピースをモザイク画に仕立て、アート作品へと昇華させたのです。
ちなみに、こちらは、上野の松坂屋から発注されたという漆塗アルマイトモザイクの 《夫人像》 。
食堂に飾られる予定だったそうなのですが。
残念ながら、最終的に上野の松坂屋には収められることはなかったとのこと。
せっかくの力作なのに。。。
なんだか太齋春夫が可哀相な感じになってきたので、
「なぜ松坂屋に作品は飾られなかったのか?
なぜ今日の今日まで忘れられた存在だったのか?」
その理由を考えてみました。
たぶんですが・・・
漆塗アルマイトモザイク作品だけでなく、
漆で描いた絵も含めて、“全体的に色が地味だから”。
それに尽きる気がします。
会場は、母が作る弁当くらいに、茶色茶色していました。
しかも、漆芸品を廉価にしたことは、発明としては素晴らしいことなのでしょうが。
作品として鑑賞すると、どうにも安っぽく感じてしまいました。。。
美術というよりも技術。
アートというよりもテクノロジーを楽しむ展覧会でした。
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