フェルメールブルーもいいけど、東山ブルーもね。
現在、国立新美術館では、“生誕110年 東山魁夷展” が開催されています。
(注:館内の写真撮影は、特別に許可を頂いております)
こちらは、昭和を代表する画家・東山魁夷の大々的な回顧展で、
若き日の傑作 《道》 や、
《道》 昭和25年(1950) 東京国立近代美術館蔵
薄型液晶テレビAQUOSのCMでもお馴染みの 《緑響く》 など、
《緑響く》 昭和57年(1982) 長野県信濃美術館 東山魁夷館蔵
代表作の数々が、平成最後の年に大集結しています。
まさに国民的画家の展覧会にふさわしい、国民的展覧会といえましょう。
目玉は何と言っても、唐招提寺御影堂の障壁画。
構想から完成までに10年を要した、東山芸術の集大成ともいうべき大作です。
今回の展覧会では、その襖絵と床貼付絵全68面が完全再現展示されています!
他の展示室と違って、こちらの空間だけは照明が落とされ、厳かな雰囲気に。
まるで、本当に唐招提寺の御影堂にいるような錯覚を覚えました。
この雰囲気を味わうためだけでも、展覧会を訪れる価値は大いにあります。
ちなみに、唐招提寺の御影堂は、現在、絶賛修理中。
そのため、確実に今後数年間は、現地でもこれらの障壁画を目にすることが出来ません。
さらに、修理が終わったとしても、ここまで作品を間近で観られるかどうか・・・。
そういう意味では、唐招提寺御影堂の障壁画をマジマジと鑑賞できる最後の機会かもしれませんね。
さてさて、今回改めて感じたのは、
東山魁夷が描く風景はどれも、心に響いてくるということ。
どの作品を前にしても、郷愁を覚えるのです。
あぁ、ふるさとに帰りたいなァ、と。
ただ、よくよく考えたら、僕のふるさとは、何の味気もない鉄筋コンクリート製の団地。
描かれた風景とは、似ても似つかない風景です。
それでも、郷愁を覚えるということは、
東山魁夷の作品を鑑賞すると、僕個人の ‘ふるさと‘ の記憶ではなく、
きっと、日本人としての遺伝子に刻み込まれた ‘ふるさと‘ の記憶が呼び起こされているのでしょう。
やはり、この絵を前にしても、郷愁を覚えてしまいました。
頭ではドイツの光景だとわかっているのに。
郷愁が止まりません!
日本人のDNAを刺激され続けたからでしょうか、
展覧会鑑賞後は、なんだか無性に、演歌が聞きたくなりました。
温泉にも行きたくなりました。そして、味噌汁が飲みたくなりました。
それと、今回の展覧会でもう一つ実感したのが、東山魁夷の意外にポップな一面です。
文豪・川端康成に、「京都を描くなら今のうちです」 と勧められたことで、
“そうだ 京都、描こう。” と、《京洛四季》 と呼ばれる一連のシリーズを描いた東山魁夷。
今回の展覧会では、その習作とスケッチが紹介されていたのですが。
その構図のデザイン性といい、フレームの大胆な切り取り方といい、遊び心といい、
どことなくInstagramの写真を彷彿とさせるものがありました。
昭和を代表する画家だからといって、決して古臭い画家ではありません。
平成の目で見ても新しさを感じる、新しい発見のある展覧会でした。
最後に、どうしても気になったことが。
公式HPなどで、『東京は10年ぶりの大回顧展!』 とあるのですが、
僕の記憶が確かなら、今年の頭に東京富士美術館で、東山魁夷の回顧展が開催されていたはず。
八王子は、東京ではないのか??
1位を目指して、ランキングに挑戦中。
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現在、国立新美術館では、“生誕110年 東山魁夷展” が開催されています。
(注:館内の写真撮影は、特別に許可を頂いております)
こちらは、昭和を代表する画家・東山魁夷の大々的な回顧展で、
若き日の傑作 《道》 や、
《道》 昭和25年(1950) 東京国立近代美術館蔵
薄型液晶テレビAQUOSのCMでもお馴染みの 《緑響く》 など、
《緑響く》 昭和57年(1982) 長野県信濃美術館 東山魁夷館蔵
代表作の数々が、平成最後の年に大集結しています。
まさに国民的画家の展覧会にふさわしい、国民的展覧会といえましょう。
目玉は何と言っても、唐招提寺御影堂の障壁画。
構想から完成までに10年を要した、東山芸術の集大成ともいうべき大作です。
今回の展覧会では、その襖絵と床貼付絵全68面が完全再現展示されています!
他の展示室と違って、こちらの空間だけは照明が落とされ、厳かな雰囲気に。
まるで、本当に唐招提寺の御影堂にいるような錯覚を覚えました。
この雰囲気を味わうためだけでも、展覧会を訪れる価値は大いにあります。
ちなみに、唐招提寺の御影堂は、現在、絶賛修理中。
そのため、確実に今後数年間は、現地でもこれらの障壁画を目にすることが出来ません。
さらに、修理が終わったとしても、ここまで作品を間近で観られるかどうか・・・。
そういう意味では、唐招提寺御影堂の障壁画をマジマジと鑑賞できる最後の機会かもしれませんね。
さてさて、今回改めて感じたのは、
東山魁夷が描く風景はどれも、心に響いてくるということ。
どの作品を前にしても、郷愁を覚えるのです。
あぁ、ふるさとに帰りたいなァ、と。
ただ、よくよく考えたら、僕のふるさとは、何の味気もない鉄筋コンクリート製の団地。
描かれた風景とは、似ても似つかない風景です。
それでも、郷愁を覚えるということは、
東山魁夷の作品を鑑賞すると、僕個人の ‘ふるさと‘ の記憶ではなく、
きっと、日本人としての遺伝子に刻み込まれた ‘ふるさと‘ の記憶が呼び起こされているのでしょう。
やはり、この絵を前にしても、郷愁を覚えてしまいました。
頭ではドイツの光景だとわかっているのに。
郷愁が止まりません!
日本人のDNAを刺激され続けたからでしょうか、
展覧会鑑賞後は、なんだか無性に、演歌が聞きたくなりました。
温泉にも行きたくなりました。そして、味噌汁が飲みたくなりました。
それと、今回の展覧会でもう一つ実感したのが、東山魁夷の意外にポップな一面です。
文豪・川端康成に、「京都を描くなら今のうちです」 と勧められたことで、
“そうだ 京都、描こう。” と、《京洛四季》 と呼ばれる一連のシリーズを描いた東山魁夷。
今回の展覧会では、その習作とスケッチが紹介されていたのですが。
その構図のデザイン性といい、フレームの大胆な切り取り方といい、遊び心といい、
どことなくInstagramの写真を彷彿とさせるものがありました。
昭和を代表する画家だからといって、決して古臭い画家ではありません。
平成の目で見ても新しさを感じる、新しい発見のある展覧会でした。
最後に、どうしても気になったことが。
公式HPなどで、『東京は10年ぶりの大回顧展!』 とあるのですが、
僕の記憶が確かなら、今年の頭に東京富士美術館で、東山魁夷の回顧展が開催されていたはず。
八王子は、東京ではないのか??
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