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Channel: アートテラー・とに~の【ここにしかない美術室】
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生誕130年記念 奥村土牛

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近現代日本画の殿堂・山種美術館が、現在の広尾の地に移転して、早10年。
それを記念して、今年2019年は、
【山種美術館 広尾開館10周年記念特別展】 が、続々と開催されるそうです。
そのトップバッターを務めるのが、“生誕130年記念 奥村土牛” という展覧会。


(注:館内の写真撮影は、特別に許可を頂いております)


山種美術館とは特に縁が深い日本画家であり、
また今年生誕130年という節目の年を迎える奥村土牛 (1889~1990) に焦点を当てた展覧会です。




土牛という雅号は、『土牛、石田を耕す』 という中国の詩にちなみ、父から与えられたもの。
牛が石の多い田畑を根気よく耕すように精進を続けなさい。
そんな意味が込められているそうです。
土牛本人は、まさにその雅号を地でいくような人物でした。
38歳と遅咲きでデビューし、その後も精進を続け、
80歳を過ぎてもなお初心を忘れず、101歳で亡くなるその直前まで絵筆を取り続けたのだそうです。
「絵は人柄である」 という信念のもと、画家と交流を重ねた山種美術館の創立者・山﨑種二は、
無名の時期から、土牛の才能とその人柄に惚れ込み、半世紀にわたって彼の作品を蒐集しました。
その数、実に135点!
質・量ともに日本最高峰、いや、世界最高峰の土牛コレクションです。


今回の展覧会では、そんな土牛コレクションの中から、
選りすぐりの傑作の数々が、出し惜しみなく紹介されています。
生涯の師である小林古径を偲び、醍醐寺のしだれ桜を描いた代表作 《醍醐》 や、


奥村土牛 《醍醐》 1972(昭和47)年 紙本・彩色 山種美術館


昨年の紅白歌合戦で米津玄師が生歌を披露したことで、
今何かと話題の大塚国際美術館のほど近くにある鳴門海峡を描いた 《鳴門》 はもちろんのこと、


奥村土牛 《鳴門》 1959(昭和34)年 紙本・彩色 山種美術館


山﨑種二とのプライベートな交流の模様が垣間見える作品の数々も出展されていました。




山種美術館だからこそ実現できる史上最強の奥村土牛展。
【山種美術館 広尾開館10周年記念特別展】 のオープニングを飾るに相応しい展覧会です。
星星


さてさて、土牛の作品の魅力は、何と言ってもその微妙なグラデーション。
まさに 『土牛、石田を耕す』 が如く、
薄い色を塗り重ねに塗り重ね、実に繊細な色合いを生み出しています。
その塗り重ねの回数は、なんと100回とも200回とも言われているのだとか。


奥村土牛 《大和路》 1970(昭和45)年 紙本・彩色 山種美術館


地味に見えて、実は丁寧で気が遠くなるような仕事が施されている。
まるで、究極の日本料理のような味わいの作品です。


また、作風と 「土牛」 という雅号から、
愚直で職人気質な印象を受けがちですが、実は研究熱心な人物。
若き日はセザンヌの技法を研究し、採り入れるなど、
意外とアヴァンギャルドな一面を持ち合わせています。


奥村土牛 《雪の山》 1946(昭和21)年 紙本・彩色 山種美術館


改めてそういう視点で、土牛の作品を見てみると、
京都の大徳寺真珠庵の茶室を描いたこちらの作品なんかは・・・


奥村土牛 《茶室》 1963(昭和38)年 紙本・彩色 山種美術館


モンドリアンの抽象画のようにも思えてきました。
もしくは、キュビスムの絵画のよう。
あるいは、インスタ映えを狙ったフォトジェニックな投稿写真のようにも感じられます。
見れば見るほど、新しい発見がある。
それが土牛作品です。


ちなみに、個人的に一番印象に残っているのは、《山羊》 という一枚。


奥村土牛 《山羊》 1951(昭和26)年 紙本・彩色 山種美術館


目つきが、完全に流し目。
しかも、2匹とも流し目でした。
ディズニーのアニメ映画に登場しがちな表情です。
研究熱心な土牛が、ディズニーアニメを研究したのかとも思ったのですが。
年代を確認すると、こちらの作品のほうが先に制作されていました。
もしかしたら、ディズニーが参考にしたのかもしれませんね。




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