現在、世田谷美術館で開催されているのは、
“田沼武能写真展 東京わが残像 1948-1964” という展覧会。
(注:館内の写真撮影は、特別に許可を頂いております)
終戦直後に、木村伊兵衛の助手として写真家人生をスタートし、
90歳を迎える現在もなお第一線で活躍する田沼武能さんをフィーチャーした展覧会です。
出展数は、約180点!
戦後の1948年から、東京オリンピック開催の1964年にかけて、
田沼さんが東京で撮影した写真を 「子ども」「下町」「街の変貌」 の3章仕立てで紹介しています。
写真はすべてモノクロなのですが。
「人間大好き人間」 を自称する田沼さんが捉えた人々の姿は、
実に生き生きとしているため、不思議と色鮮やかな印象を受けました。
デパートの屋上に遊園地があったり、
聖徳記念絵画館の前に広がる池がプールとして使用されていたり、
1950年代にもかかわらず日本髪の女性がわりと存在していたり、
と、今ではすっかり様変わりしてしまった東京の風景が、会場のそこかしこに。
「昭和は遠くなりにけり」 を強く実感させられる展覧会でした。
それらの写真の中で、特に激しく様変わりをしていたのが、不二家のペコちゃんです。
田沼武能 《ペコちゃん人形の持つミルキーが欲しい戦災孤児》 [銀座] 1950年
別人も別人。
完全に目がイっちゃってます。
最初見たときは、「ごはんがススムくん」 かと思いましたが、
タイトルのおかげで、ペコちゃんであったことに気がつきました。
さてさて、変わりゆく姿の一方で、
変わらないものも、田沼さんの写真に映し出されています。
それは、人々の性格や表情。
昭和に生きた人々も、現在を生きる僕らも、根っこのところでは何も変わっていないようでした。
例えば、こちらの2枚の写真。
左のタイトルは、《ストリップの看板を覗く祖父と孫》。
右のタイトルは、《正月の熊手のお守りを帽子にさす旦那》 です。
いつの時代もスケベじじいはいるし、いつの時代もお調子者のオッサンはいるようです。
もう一つ “昔から変わってないなァ” と感じたのが、《メーデー会場でのゴミ拾い》(左) という写真。
渋谷のハロウィンのゴミ問題が、毎年ニュースで取り上げられていますが。
どうやら今に限ったことではなく、
昔から、人が集まれば、このようにゴミが大量に発生していたようです。
昭和にもパリピはいたのですね。
今回出展されていた写真の中で、
個人的にお気に入りなのは、《学校給食のパンをほおばる少女》 (左) という1枚。
チコちゃん的なヘアスタイルの少女が、
「ボーっと生きてんじゃねーよ!」 ばりの表情を浮かべ、パンにがっついています。
ものすごい迫力。
生きるとは、サバイバルである。
そんなことを、この少女に教えられた気がします。
ちなみに、NHK繋がり (?) で、
大河ドラマの 『いだてん』 にハマっている人には、こちらもオススメ。
田沼武能 《駒沢陸上競技場の建設工事》 [世田谷区] 1963年
世田谷には、駒沢オリンピック公園がある関係で、
東京オリンピックにまつわる写真が、当時の資料と併せて紹介されていました。
なお、展覧会のラストでは、特別企画として、
世田谷区ゆかりの文化人の肖像写真24点が紹介されています。
洋画家の宮本三郎や “世界のクロサワ” こと黒澤明を筆頭に、
岡本太郎や長谷川町子など、意外な有名人が続々登場。
田沼さんが、肖像写真家として、
どれほど活躍していたのかが、そうそうたる顔ぶれから伝わってきました。
それだけに、田沼さんご本人御年90歳は、
よほど大御所感のある方なのだろうと構えていたのですが。
記者会見でスピーチをする田沼さんは、実にチャーミングなお方でした。
とにかく話がお上手。
まるで噺家のように、ドッカンドッカン笑いを取っていました。
ちょっと嫉妬してしまったほどです (笑)
┃会期:2019年2月9日(土)~4月14日(日)
┃会場:世田谷美術館
┃https://www.setagayaartmuseum.or.jp/
1位を目指して、ランキングに挑戦中。
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“田沼武能写真展 東京わが残像 1948-1964” という展覧会。
(注:館内の写真撮影は、特別に許可を頂いております)
終戦直後に、木村伊兵衛の助手として写真家人生をスタートし、
90歳を迎える現在もなお第一線で活躍する田沼武能さんをフィーチャーした展覧会です。
出展数は、約180点!
戦後の1948年から、東京オリンピック開催の1964年にかけて、
田沼さんが東京で撮影した写真を 「子ども」「下町」「街の変貌」 の3章仕立てで紹介しています。
写真はすべてモノクロなのですが。
「人間大好き人間」 を自称する田沼さんが捉えた人々の姿は、
実に生き生きとしているため、不思議と色鮮やかな印象を受けました。
デパートの屋上に遊園地があったり、
聖徳記念絵画館の前に広がる池がプールとして使用されていたり、
1950年代にもかかわらず日本髪の女性がわりと存在していたり、
と、今ではすっかり様変わりしてしまった東京の風景が、会場のそこかしこに。
「昭和は遠くなりにけり」 を強く実感させられる展覧会でした。
それらの写真の中で、特に激しく様変わりをしていたのが、不二家のペコちゃんです。
田沼武能 《ペコちゃん人形の持つミルキーが欲しい戦災孤児》 [銀座] 1950年
別人も別人。
完全に目がイっちゃってます。
最初見たときは、「ごはんがススムくん」 かと思いましたが、
タイトルのおかげで、ペコちゃんであったことに気がつきました。
さてさて、変わりゆく姿の一方で、
変わらないものも、田沼さんの写真に映し出されています。
それは、人々の性格や表情。
昭和に生きた人々も、現在を生きる僕らも、根っこのところでは何も変わっていないようでした。
例えば、こちらの2枚の写真。
左のタイトルは、《ストリップの看板を覗く祖父と孫》。
右のタイトルは、《正月の熊手のお守りを帽子にさす旦那》 です。
いつの時代もスケベじじいはいるし、いつの時代もお調子者のオッサンはいるようです。
もう一つ “昔から変わってないなァ” と感じたのが、《メーデー会場でのゴミ拾い》(左) という写真。
渋谷のハロウィンのゴミ問題が、毎年ニュースで取り上げられていますが。
どうやら今に限ったことではなく、
昔から、人が集まれば、このようにゴミが大量に発生していたようです。
昭和にもパリピはいたのですね。
今回出展されていた写真の中で、
個人的にお気に入りなのは、《学校給食のパンをほおばる少女》 (左) という1枚。
チコちゃん的なヘアスタイルの少女が、
「ボーっと生きてんじゃねーよ!」 ばりの表情を浮かべ、パンにがっついています。
ものすごい迫力。
生きるとは、サバイバルである。
そんなことを、この少女に教えられた気がします。
ちなみに、NHK繋がり (?) で、
大河ドラマの 『いだてん』 にハマっている人には、こちらもオススメ。
田沼武能 《駒沢陸上競技場の建設工事》 [世田谷区] 1963年
世田谷には、駒沢オリンピック公園がある関係で、
東京オリンピックにまつわる写真が、当時の資料と併せて紹介されていました。
なお、展覧会のラストでは、特別企画として、
世田谷区ゆかりの文化人の肖像写真24点が紹介されています。
洋画家の宮本三郎や “世界のクロサワ” こと黒澤明を筆頭に、
岡本太郎や長谷川町子など、意外な有名人が続々登場。
田沼さんが、肖像写真家として、
どれほど活躍していたのかが、そうそうたる顔ぶれから伝わってきました。
それだけに、田沼さんご本人御年90歳は、
よほど大御所感のある方なのだろうと構えていたのですが。
記者会見でスピーチをする田沼さんは、実にチャーミングなお方でした。
とにかく話がお上手。
まるで噺家のように、ドッカンドッカン笑いを取っていました。
ちょっと嫉妬してしまったほどです (笑)
┃会期:2019年2月9日(土)~4月14日(日)
┃会場:世田谷美術館
┃https://www.setagayaartmuseum.or.jp/
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