現在、南青山の岡本太郎記念館で開催されているのは、
“太陽の芸術 ー岡本太郎のパブリックアートー” という展覧会。
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こちらは、岡本太郎が制作したパブリックアートに焦点を当てた展覧会です。
・・・・・あれっ?
岡本太郎のパブリックアートといえば、
昨年、川崎市岡本太郎美術館で、同じ内容の展覧会が開催されていたはず。
"ハッ!もしや、その企画をパクったのでは?!"
と、「疑念は爆発だ!」 状態だったのですが。
どうやらその展覧会を担当した学芸員、
川崎市岡本太郎美術館の大杉浩司さんが、今回のゲストキュレーターとのこと。
本人公認であるならば、何よりです。
さて、なんかホッとしたところで、企画展示室へ。
こちらでは、そごう横浜の屋上にある 《太陽》 や、
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昨年5月に、それまであった伊豆高原から、
高崎市に移設されたことで話題になった 《太陽の鐘》 、
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そして、太郎さんの代表作、いや日本を代表するパブリックアート 《太陽の塔》 など、
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日本各地にある太郎さんのパブリックアートの模型や原画の数々が展示されていました。
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しかし、これでも太郎さんの全パブリックアートのほんの一部。
今確認されているだけでも、日本全国70ヵ所140点と、
べらぼうな数のパブリックアートが存在しているそうです。
なので、模型や原画で紹介しきれなかったものは、壁一面を使って写真で紹介されていました。
(それでも、全部では無いようですが・・・)
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今回紹介されていた中で、一番のお気に入りは、
兵庫県のホテル・シーショアにあるという 《繚乱》 です。
こちら側から見ると、
「ここから先は立ち入り禁止!」 とでも言っていそうなつれない感じですが。
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反対側に回ってみると・・・
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「やぁやぁ、よくいらっしゃいましたね♪」 と、まるで態度が一変したかのよう。
ツンデレな奴です。
ちなみに、紹介されていた作品の中には、今は現存していないものも。
例えば、こちらの作品。
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1956年、築地に竣工した松竹会館を飾っていたモザイクタイル壁画の原画です。
1999年に老朽化のため、建物が解体されてしまったため、作品も無くなってしまったのだそう。
完全なる抽象画かと思いきや、
若い男女が陽光のもとで踊りながら、青春を謳歌しているさまを表現しているのだとか。
タイトルもズバリ、《青春》 です。
なお、松竹会館は、銀座松竹スクエアに生まれ変わりましたが、壁画の姿はないとのこと。
失われた 「青春」 は取り戻せないのですね。
さてさて、今回の展覧会は、企画展示室だけでなく、
アトリエや応接室を含めた館内全てが、その会場となっていました。
と言っても、新たに何かを設置しているわけではなく。
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常設されていた作品の近くに、キャプションが添えられているのです。
"岡本太郎記念館ですっかり見慣れたあの作品って、実はパブリックアートだったんだ?!"
そんな新鮮な驚きがある展覧会でした。
![星]()
ちなみに、岡本太郎記念館の見どころの一つ、
カオスな庭に設置されているものの多くも、なんとパブリックアートの原型なのだそう。
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この庭に来れば、実物よりは小さいサイズなものの、
日本各地の太郎さんのパブリックアートが、まとめて楽しめるのですね。
この庭園は、太郎さんのパブリックアート版東武ワールドスクウェアといえましょう (←?)。
最後に。
これまで何度も岡本太郎記念館を訪れているのですが、
つい最近、裏手に太郎さんがデザインした門があると知ったので、確認してみることに。
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あっ、確かにありました!
しかも、ご丁寧に 『TARO OKAMOTO』 の文字まで。
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いや、でも、この門のデザインに、あのカオスな庭に・・・。
名乗らずとも、誰の家かわかると思いますよ。
1位を目指して、ランキングに挑戦中。
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こちらは、岡本太郎が制作したパブリックアートに焦点を当てた展覧会です。
・・・・・あれっ?
岡本太郎のパブリックアートといえば、
昨年、川崎市岡本太郎美術館で、同じ内容の展覧会が開催されていたはず。
"ハッ!もしや、その企画をパクったのでは?!"
と、「疑念は爆発だ!」 状態だったのですが。
どうやらその展覧会を担当した学芸員、
川崎市岡本太郎美術館の大杉浩司さんが、今回のゲストキュレーターとのこと。
本人公認であるならば、何よりです。
さて、なんかホッとしたところで、企画展示室へ。
こちらでは、そごう横浜の屋上にある 《太陽》 や、

昨年5月に、それまであった伊豆高原から、
高崎市に移設されたことで話題になった 《太陽の鐘》 、

そして、太郎さんの代表作、いや日本を代表するパブリックアート 《太陽の塔》 など、

日本各地にある太郎さんのパブリックアートの模型や原画の数々が展示されていました。

しかし、これでも太郎さんの全パブリックアートのほんの一部。
今確認されているだけでも、日本全国70ヵ所140点と、
べらぼうな数のパブリックアートが存在しているそうです。
なので、模型や原画で紹介しきれなかったものは、壁一面を使って写真で紹介されていました。
(それでも、全部では無いようですが・・・)

今回紹介されていた中で、一番のお気に入りは、
兵庫県のホテル・シーショアにあるという 《繚乱》 です。
こちら側から見ると、
「ここから先は立ち入り禁止!」 とでも言っていそうなつれない感じですが。

反対側に回ってみると・・・

「やぁやぁ、よくいらっしゃいましたね♪」 と、まるで態度が一変したかのよう。
ツンデレな奴です。
ちなみに、紹介されていた作品の中には、今は現存していないものも。
例えば、こちらの作品。

1956年、築地に竣工した松竹会館を飾っていたモザイクタイル壁画の原画です。
1999年に老朽化のため、建物が解体されてしまったため、作品も無くなってしまったのだそう。
完全なる抽象画かと思いきや、
若い男女が陽光のもとで踊りながら、青春を謳歌しているさまを表現しているのだとか。
タイトルもズバリ、《青春》 です。
なお、松竹会館は、銀座松竹スクエアに生まれ変わりましたが、壁画の姿はないとのこと。
失われた 「青春」 は取り戻せないのですね。
さてさて、今回の展覧会は、企画展示室だけでなく、
アトリエや応接室を含めた館内全てが、その会場となっていました。
と言っても、新たに何かを設置しているわけではなく。


常設されていた作品の近くに、キャプションが添えられているのです。
"岡本太郎記念館ですっかり見慣れたあの作品って、実はパブリックアートだったんだ?!"
そんな新鮮な驚きがある展覧会でした。

ちなみに、岡本太郎記念館の見どころの一つ、
カオスな庭に設置されているものの多くも、なんとパブリックアートの原型なのだそう。


この庭に来れば、実物よりは小さいサイズなものの、
日本各地の太郎さんのパブリックアートが、まとめて楽しめるのですね。
この庭園は、太郎さんのパブリックアート版東武ワールドスクウェアといえましょう (←?)。
最後に。
これまで何度も岡本太郎記念館を訪れているのですが、
つい最近、裏手に太郎さんがデザインした門があると知ったので、確認してみることに。

あっ、確かにありました!
しかも、ご丁寧に 『TARO OKAMOTO』 の文字まで。

いや、でも、この門のデザインに、あのカオスな庭に・・・。
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