今年でめでたく還暦 (=開館60年) を迎えた国立西洋美術館。
それを記念して、現在開催されているのが、
“開館60周年記念 松方コレクション展” という展覧会です。
(注:館内の写真撮影は、特別に許可を得ております)
国立西洋美術館のコレクションの中核をなす松方コレクション。
普段、常設展示室で当たり前のように常設されているだけに、
あまり注目されていない (?) 松方コレクションにスポットライトを当てた展覧会です。
松方コレクションとは、神戸の実業家・松方幸次郎 (1865〜1950) が、
1910年~1920年代にかけてヨーロッパで収集した美術のコレクション。
西洋美術約3000点、浮世絵約8000点、計1万点を超える・・・いや、超えていた大コレクションです。
というのも、ロンドンの倉庫で保管していたコレクションは、火災で焼失し、
パリのロダン美術館に預けていたコレクションは、フランス政府に差し押さえられ、
日本国内にあったコレクションは、関東大震災や昭和金融恐慌による負債整理のため国内外に散逸。
結果的に残ったのは、サンフランシスコ講和会議の際に、
吉田茂がフランスに掛け合って、どうにか返還された375点だけ。
(ちなみに、この375点の松方コレクションを礎にして、国立西洋美術館は誕生しました)
実に波乱万丈な人生 (?) を歩んだ美術コレクションなのです。
こちらが、その1万点以上あった美術品の大半を失ってしまった松方幸次郎その人。
松方幸次郎 写真提供:川崎重工業株式会社
世界的にも有数な個人コレクションを築いた人物ながらも、
絵画を選別する審美眼は持ち合わせていないと自認していました。
そんな絵を観る目のない松方が、大量の美術品を購入した理由。
それは、日本人に本物の西洋絵画を見せたかったから。
私利私欲や金持ちの道楽ではなく、日本の文化のために優れた美術品を買い集めていたのです。
松方が描いた希望は、残念ながら100%の形では叶いませんでしたが。
今回の展覧会では、松方が夢見た光景を100%に近い形で実現させるべく、
展覧会場には、国内外に散逸してしまった旧・松方コレクションが大集結!
現・松方コレクションと同じ空間で、夢の競演を果たしています。
さらに!
ゴッホの 《アルルの寝室》 をはじめ、
フィンセント・ファン・ゴッホ 《アルルの寝室》 1889年 油彩・カンヴァス オルセー美術館
Paris, musée d’Orsay, cédé aux musées nationaux en application du traité de paix avec le Japon, 1959 Photo
©RMN-Grand Palais (musée d’Orsay) / Hervé Lewandowski / distributed by AMF
当時のフランス政府が、その重要性から、
どうしても日本に返還してくれなかった作品も特別に来日。
国立西洋美術館の壁に収まっています。
この光景を目にしたら、きっと松方さんは涙を浮かべるだろうなァ。
そう想像したら、僕の目にもうっすら涙が (←最近、涙もろくなりました)。
それと同時に、当時のフランス政府が、
「まぁいっか」 と日本に返されてしまった375点の画家たちの気持ちを想うと、それはそれで涙。
とにもかくにも、泣ける展覧会です。
さてさて、会場には150点を超える作品が出展されていましたが。
その中でも特に印象に残っているのは、ドガによる 《マネとマネ夫人像》。
エドガー・ドガ 《マネとマネ夫人像》 1868-69年 油彩、カンヴァス 北九州市立美術館
カンヴァスの右側がバッサリと切り取られています。
なんでも、マネがドガの描いた夫人の顔の歪みが気に入らず、切り取ってしまったのだとか。
後日、ドガは変わり果てた自分の絵を目にして激怒。
マネのもとから取り返したそうです。
そんなに気に入らなかったなら、マネは画家なのだから、上から描けば良かったのに。
どちらにしろ、ドガはキレるでしょうが。
とはいえ、そこまで気に入らないほどの歪みって、どんな仕上がりだったのでしょうか。
欠損しているからこそ、想像力が掻き立てられます。
なお、展覧会のラストを飾るのも、大半が欠損している作品。
2016年に約60年ぶりにルーヴル美術館で発見され、
その後、国立西洋美術館に寄贈されたことで話題となったモネの 《睡蓮、柳の反映》 です。
クロード・モネ 《睡蓮、柳の反映》 1916年 油彩、カンヴァス 国立西洋美術館(旧松方コレクション)※修復前
松方幸次郎がモネ直々に譲り受けたとされる1枚。
発見時は、キャンバスの大半が欠損していたそうです。
残った部分もボロボロの状態でしたが、
今回の展覧会での公開に合わせ、急ピッチで修復されたのだとか。
無事に、かつての鮮やかな色合いを取り戻していました。
欠損した部分は黄昏色の空のようにも見え、これはこれでアリな印象。
残った睡蓮の部分と、不思議な調和を見せていました。
とは言っても、欠損した部分が気になるという方もご安心を。
展覧会の冒頭に、残された白黒写真から、AIが元の色を推定、
最新鋭のデジタル技術で復元された 《睡蓮、柳の反映》 も紹介されていましたよ。
ちなみに、残念ながら実現はしなかったわけですが。
松方幸次郎は、自分のコレクションを基にした美術館を構想していました。
その名も、共楽美術館。
「松方美術館」 という案も出ていたそうですが、
彼はそんな考えを 「ケチくせえ!」 と一蹴したそうです。
あの美術館とかあの美術館とかあの美術館とか、
自分の名前を冠した美術館は、松方曰くケチくさいのですね (笑)
それはともかく、“共に楽しむ” 共楽美術館。
何て素敵なネーミングなのでしょう。
60周年を機に、国立西洋美術館から共楽美術館に改名してみるのもいいのでは?
1位を目指して、ランキングに挑戦中。
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それを記念して、現在開催されているのが、
“開館60周年記念 松方コレクション展” という展覧会です。
(注:館内の写真撮影は、特別に許可を得ております)
国立西洋美術館のコレクションの中核をなす松方コレクション。
普段、常設展示室で当たり前のように常設されているだけに、
あまり注目されていない (?) 松方コレクションにスポットライトを当てた展覧会です。
松方コレクションとは、神戸の実業家・松方幸次郎 (1865〜1950) が、
1910年~1920年代にかけてヨーロッパで収集した美術のコレクション。
西洋美術約3000点、浮世絵約8000点、計1万点を超える・・・いや、超えていた大コレクションです。
というのも、ロンドンの倉庫で保管していたコレクションは、火災で焼失し、
パリのロダン美術館に預けていたコレクションは、フランス政府に差し押さえられ、
日本国内にあったコレクションは、関東大震災や昭和金融恐慌による負債整理のため国内外に散逸。
結果的に残ったのは、サンフランシスコ講和会議の際に、
吉田茂がフランスに掛け合って、どうにか返還された375点だけ。
(ちなみに、この375点の松方コレクションを礎にして、国立西洋美術館は誕生しました)
実に波乱万丈な人生 (?) を歩んだ美術コレクションなのです。
こちらが、その1万点以上あった美術品の大半を失ってしまった松方幸次郎その人。
松方幸次郎 写真提供:川崎重工業株式会社
世界的にも有数な個人コレクションを築いた人物ながらも、
絵画を選別する審美眼は持ち合わせていないと自認していました。
そんな絵を観る目のない松方が、大量の美術品を購入した理由。
それは、日本人に本物の西洋絵画を見せたかったから。
私利私欲や金持ちの道楽ではなく、日本の文化のために優れた美術品を買い集めていたのです。
松方が描いた希望は、残念ながら100%の形では叶いませんでしたが。
今回の展覧会では、松方が夢見た光景を100%に近い形で実現させるべく、
展覧会場には、国内外に散逸してしまった旧・松方コレクションが大集結!
現・松方コレクションと同じ空間で、夢の競演を果たしています。
さらに!
ゴッホの 《アルルの寝室》 をはじめ、
フィンセント・ファン・ゴッホ 《アルルの寝室》 1889年 油彩・カンヴァス オルセー美術館
Paris, musée d’Orsay, cédé aux musées nationaux en application du traité de paix avec le Japon, 1959 Photo
©RMN-Grand Palais (musée d’Orsay) / Hervé Lewandowski / distributed by AMF
当時のフランス政府が、その重要性から、
どうしても日本に返還してくれなかった作品も特別に来日。
国立西洋美術館の壁に収まっています。
この光景を目にしたら、きっと松方さんは涙を浮かべるだろうなァ。
そう想像したら、僕の目にもうっすら涙が (←最近、涙もろくなりました)。
それと同時に、当時のフランス政府が、
「まぁいっか」 と日本に返されてしまった375点の画家たちの気持ちを想うと、それはそれで涙。
とにもかくにも、泣ける展覧会です。
さてさて、会場には150点を超える作品が出展されていましたが。
その中でも特に印象に残っているのは、ドガによる 《マネとマネ夫人像》。
エドガー・ドガ 《マネとマネ夫人像》 1868-69年 油彩、カンヴァス 北九州市立美術館
カンヴァスの右側がバッサリと切り取られています。
なんでも、マネがドガの描いた夫人の顔の歪みが気に入らず、切り取ってしまったのだとか。
後日、ドガは変わり果てた自分の絵を目にして激怒。
マネのもとから取り返したそうです。
そんなに気に入らなかったなら、マネは画家なのだから、上から描けば良かったのに。
どちらにしろ、ドガはキレるでしょうが。
とはいえ、そこまで気に入らないほどの歪みって、どんな仕上がりだったのでしょうか。
欠損しているからこそ、想像力が掻き立てられます。
なお、展覧会のラストを飾るのも、大半が欠損している作品。
2016年に約60年ぶりにルーヴル美術館で発見され、
その後、国立西洋美術館に寄贈されたことで話題となったモネの 《睡蓮、柳の反映》 です。
クロード・モネ 《睡蓮、柳の反映》 1916年 油彩、カンヴァス 国立西洋美術館(旧松方コレクション)※修復前
松方幸次郎がモネ直々に譲り受けたとされる1枚。
発見時は、キャンバスの大半が欠損していたそうです。
残った部分もボロボロの状態でしたが、
今回の展覧会での公開に合わせ、急ピッチで修復されたのだとか。
無事に、かつての鮮やかな色合いを取り戻していました。
欠損した部分は黄昏色の空のようにも見え、これはこれでアリな印象。
残った睡蓮の部分と、不思議な調和を見せていました。
とは言っても、欠損した部分が気になるという方もご安心を。
展覧会の冒頭に、残された白黒写真から、AIが元の色を推定、
最新鋭のデジタル技術で復元された 《睡蓮、柳の反映》 も紹介されていましたよ。
ちなみに、残念ながら実現はしなかったわけですが。
松方幸次郎は、自分のコレクションを基にした美術館を構想していました。
その名も、共楽美術館。
「松方美術館」 という案も出ていたそうですが、
彼はそんな考えを 「ケチくせえ!」 と一蹴したそうです。
あの美術館とかあの美術館とかあの美術館とか、
自分の名前を冠した美術館は、松方曰くケチくさいのですね (笑)
それはともかく、“共に楽しむ” 共楽美術館。
何て素敵なネーミングなのでしょう。
60周年を機に、国立西洋美術館から共楽美術館に改名してみるのもいいのでは?
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