~前回までのあらすじ~
国宝ハントしたい♪国宝ハントしたい♪国宝ハントしたい♪
重文はいらない♪
国宝ハントしたい♪国宝ハントしたい♪国宝ハントしたい♪
1119件は多い♪
国宝ハントしたい♪国宝ハントしたい♪国宝ハントしたい♪
巡るの地獄♪
前回、奈良県でまさかの空振りを喰らったショックで、壊れかけの国宝ハンター。
気持ちも新たに今回向かった先は・・・
長野県松本市へとやってきました。
松本市のシンボルである国宝・松本城は、すでに2013年にハンティング済。
松本城は脇目で見るくらいに留め、
松本市のもう一つのシンボルともいうべき建造物へと向かいました。
それは、旧開智学校。
日本で最も古い小学校のうちの一つです。
洋風とも和風ともいえない 「擬洋風建築」 の校舎は、明治9年に建設されたもの。
文明開化を代表する建造物として、令和初の国宝に指定されました。
ちなみに、明治以降の国宝としては、《旧東宮御所(迎賓館赤坂離宮)》、
《旧富岡製糸場》 に続いて、《旧開智学校校舎》 (ジャンル:建造物) が3例目。
国宝の学校建築としては、《旧閑谷学校》 に次ぐ、2例目です。
何と言っても特徴的なのは、その正面のデザイン。
学校感は、ほぼありません。
竜宮城を模した地方の温泉旅館のような印象を受けます。
ふと、上を見上げると、そこには 『開智学校』 と書かれた額がありました。
その額の両サイドには、なぜか天使の姿が。
いや、よく見ると、翼が茶色です。
天使なんかじゃない・・・のかも。虫?
あと、右側のヤツは、そこはかとなくウッチャンに似ていました。
と、外観を堪能した後は、いよいよ内部へ。
基本的には、外部も内部も竣工当時の姿のまま残っているのだそう。
ひとたび校舎内に足を踏み入れた瞬間、
まるで明治期にタイムスリップしたような気持ちになりました。
こちらは、かつて教室として使われていた部屋。
机も教壇もピアノも、当時のものが置かれています。
「当時の机が残っているということは・・・?」 と思い、探してみると、やっぱりありました。
彫りキズ。
さすがに、『BOØWY』 や 『夜露死苦』 といったフレーズでは無かったですが。
机に堂々と、旧字で 『靑』 と彫られていました。
この机の持ち主は、一体何を伝えようとしていたというのか。
非常に気になるところです。
ちなみに。
気になるといえば、開智学校の生徒心得も。
基本的には、今にも通じるような常識的な心得が書かれていたのですが。
中に一つだけ、何とも気になる心得がありました。
「瓦や石や鉄砲の玉のようなものを投げてはいけません。」
鉄砲の玉のようなもの?!
投げる投げないの問題でなく、
小学生が、そんな物騒なものを所持している時点でアウトなのでは??
国宝ハントしたい♪国宝ハントしたい♪国宝ハントしたい♪
重文はいらない♪
国宝ハントしたい♪国宝ハントしたい♪国宝ハントしたい♪
1119件は多い♪
国宝ハントしたい♪国宝ハントしたい♪国宝ハントしたい♪
巡るの地獄♪
前回、奈良県でまさかの空振りを喰らったショックで、壊れかけの国宝ハンター。
気持ちも新たに今回向かった先は・・・
長野県松本市へとやってきました。
松本市のシンボルである国宝・松本城は、すでに2013年にハンティング済。
松本城は脇目で見るくらいに留め、
松本市のもう一つのシンボルともいうべき建造物へと向かいました。
それは、旧開智学校。
日本で最も古い小学校のうちの一つです。
洋風とも和風ともいえない 「擬洋風建築」 の校舎は、明治9年に建設されたもの。
文明開化を代表する建造物として、令和初の国宝に指定されました。
ちなみに、明治以降の国宝としては、《旧東宮御所(迎賓館赤坂離宮)》、
《旧富岡製糸場》 に続いて、《旧開智学校校舎》 (ジャンル:建造物) が3例目。
国宝の学校建築としては、《旧閑谷学校》 に次ぐ、2例目です。
何と言っても特徴的なのは、その正面のデザイン。
学校感は、ほぼありません。
竜宮城を模した地方の温泉旅館のような印象を受けます。
ふと、上を見上げると、そこには 『開智学校』 と書かれた額がありました。
その額の両サイドには、なぜか天使の姿が。
いや、よく見ると、翼が茶色です。
天使なんかじゃない・・・のかも。虫?
あと、右側のヤツは、そこはかとなくウッチャンに似ていました。
と、外観を堪能した後は、いよいよ内部へ。
基本的には、外部も内部も竣工当時の姿のまま残っているのだそう。
ひとたび校舎内に足を踏み入れた瞬間、
まるで明治期にタイムスリップしたような気持ちになりました。
こちらは、かつて教室として使われていた部屋。
机も教壇もピアノも、当時のものが置かれています。
「当時の机が残っているということは・・・?」 と思い、探してみると、やっぱりありました。
彫りキズ。
さすがに、『BOØWY』 や 『夜露死苦』 といったフレーズでは無かったですが。
机に堂々と、旧字で 『靑』 と彫られていました。
この机の持ち主は、一体何を伝えようとしていたというのか。
非常に気になるところです。
ちなみに。
気になるといえば、開智学校の生徒心得も。
基本的には、今にも通じるような常識的な心得が書かれていたのですが。
中に一つだけ、何とも気になる心得がありました。
「瓦や石や鉄砲の玉のようなものを投げてはいけません。」
鉄砲の玉のようなもの?!
投げる投げないの問題でなく、
小学生が、そんな物騒なものを所持している時点でアウトなのでは??
松本、恐ろしい子!