現在、浮世絵専門の太田記念美術館では、
“青のある暮らし ―着物・器・雑貨” という展覧会が開催中ですが。
同じ渋谷区内にある古陶磁器専門の戸栗美術館では、
“青のある暮らし ―江戸を染める伊万里焼―” という展覧会が開催されています。
もちろん、これは偶然というわけではなく、2館での初となる連携企画展。
太田記念美術館では、浮世絵に描かれたものを通じて、
戸栗美術館では、実際に使われていたやきものを一堂に会して、
それぞれ、「青のある暮らし」 を紹介しています。
(注:館内の写真撮影は、特別に許可を得ております)
江戸時代を代表する青い器といえば、染付。
日本初の国産磁器である伊万里焼の主力の器で、白地に青色でモチーフを描いたものです。
17世紀初め、誕生した当初の染付は・・・
白い部分すら、もはや青みがかっており、
白と青のコントラストというよりは、全体的に青一色といったところ。
本場中国のものと比べると、その差は一目瞭然です。
そうは言っても、貴重な国産磁器。
この当時、「青の器のある暮らし」 をしていたのは、セレブに限定されていたそうです。
しかし、時間と経験を積み重ねるにつれ、
日本人の持ち前の器用さが発揮されていきます。
17世紀中期には・・・
ここまで技術力がアップ!
さらに、17世紀後半には・・・
複雑な形状もグラデーションも自由自在。
海外に輸出されるまでになりました。
さてさて、そんな染付を町人層が手にできるようになったのは、18世紀のこと。
その要因の一つに、中国との価格競争に苦戦し、
輸出だけでなく、国内での販売に力を入れるようになったことが挙げられるようです。
17世紀の染付の名品を紹介する第1展示室に続く、第2展示室では、
そんな18世紀に有田で作られた染付の食器の数々が紹介されていました。
蓋付きのお椀に、
蕎麦猪口に、
薬味入れとしても使われた手塩皿に。
今でも普段使いできそうな食器ばかり。
値札が付いていたら、買って帰りたいものもいくつかありました。
展覧会を締めくくる最後の展示室では、
19世紀のものを中心に、食器以外に使われていた様々なタイプの染付が紹介されています。
化粧道具として使用された染付もあれば、
襖の引手として使用されたという珍しい染付も。
それ以上に珍しいところでは、染付の将棋駒もありました。
これほどまでに、江戸時代の暮らしが、染付で染められていたとは。
今まで染付をそこまで意識したことがなかったですが、
これからは、日本人が大切にしてきた染付に、もっと関心を持ってみようと思います。
ちなみに。
今回の展覧会を通じて、何よりも気になったのは、
《染付 蛸唐草文~》 のものが、異様に多かったことです。
蛸の足のような唐草文だから、蛸唐草文。
フリーハンドで、うねうねと書かれた線が、
全体を埋め尽くすさまは、なんとなく草間彌生さんを彷彿とさせるものがあります。
今の時代、逆に女子ウケしそうかも。
しかし、何でまたこんなに蛸唐草文が蔓延っているのでしょう?
普通の唐草文は、ほとんど見かけなかったというのに。
その理由を、学芸員さんに教えてもらいました。
もともとは、一般的な唐草文が描かれていたそうです。
ところが、時代が進むにつれ、
白い画面をできるだけ、青く埋め尽くしたいという欲求 (?) が高まり、
まるでキャスキッドソンのような 「花唐草文」 が描かれるようになります。
しかし、この描き方では、時間と労力がかかるため、
そのうち、花の部分はあまり描かれなくなっていくとのこと。
そして、よりシステマティックに描ける蛸唐草文へと進化 (?) していくのです。
“ん?だったら、単純に全体を青く塗ればいいのでは?”
と、疑問に思ったのですが、
そもそも釉薬を塗る職人さんと絵付けをする職人さんは別とのこと。
色を均等に塗り重ねるのは、唐草文で埋め尽くすよりも、難易度は高いのだそうです。
ちなみに、唐草文の ‘成れの果て’ とされているのが、こちらの 「微塵唐草文」。
・・・・・唐草文って何かね?
その概念までが木っ端微塵に吹き飛ばされてしまいました。
そうそう。
余談ですが、戸栗美術館からの帰り道、
渋谷駅に向かって歩いていると、軽く青ざめる光景が目に飛び込んできました!
電信柱の広告は、すべて戸栗美術館のもの!
頑なまでに、Uターンさせようとしています。
もう少し進むと、さらなる衝撃の広告が!
英語圏の人間も逃さない。
それが、戸栗美術館。
1位を目指して、ランキングに挑戦中。
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“青のある暮らし ―着物・器・雑貨” という展覧会が開催中ですが。
同じ渋谷区内にある古陶磁器専門の戸栗美術館では、
“青のある暮らし ―江戸を染める伊万里焼―” という展覧会が開催されています。
もちろん、これは偶然というわけではなく、2館での初となる連携企画展。
太田記念美術館では、浮世絵に描かれたものを通じて、
戸栗美術館では、実際に使われていたやきものを一堂に会して、
それぞれ、「青のある暮らし」 を紹介しています。
(注:館内の写真撮影は、特別に許可を得ております)
江戸時代を代表する青い器といえば、染付。
日本初の国産磁器である伊万里焼の主力の器で、白地に青色でモチーフを描いたものです。
17世紀初め、誕生した当初の染付は・・・
白い部分すら、もはや青みがかっており、
白と青のコントラストというよりは、全体的に青一色といったところ。
本場中国のものと比べると、その差は一目瞭然です。
そうは言っても、貴重な国産磁器。
この当時、「青の器のある暮らし」 をしていたのは、セレブに限定されていたそうです。
しかし、時間と経験を積み重ねるにつれ、
日本人の持ち前の器用さが発揮されていきます。
17世紀中期には・・・
ここまで技術力がアップ!
さらに、17世紀後半には・・・
複雑な形状もグラデーションも自由自在。
海外に輸出されるまでになりました。
さてさて、そんな染付を町人層が手にできるようになったのは、18世紀のこと。
その要因の一つに、中国との価格競争に苦戦し、
輸出だけでなく、国内での販売に力を入れるようになったことが挙げられるようです。
17世紀の染付の名品を紹介する第1展示室に続く、第2展示室では、
そんな18世紀に有田で作られた染付の食器の数々が紹介されていました。
蓋付きのお椀に、
蕎麦猪口に、
薬味入れとしても使われた手塩皿に。
今でも普段使いできそうな食器ばかり。
値札が付いていたら、買って帰りたいものもいくつかありました。
展覧会を締めくくる最後の展示室では、
19世紀のものを中心に、食器以外に使われていた様々なタイプの染付が紹介されています。
化粧道具として使用された染付もあれば、
襖の引手として使用されたという珍しい染付も。
それ以上に珍しいところでは、染付の将棋駒もありました。
これほどまでに、江戸時代の暮らしが、染付で染められていたとは。
今まで染付をそこまで意識したことがなかったですが、
これからは、日本人が大切にしてきた染付に、もっと関心を持ってみようと思います。
ちなみに。
今回の展覧会を通じて、何よりも気になったのは、
《染付 蛸唐草文~》 のものが、異様に多かったことです。
蛸の足のような唐草文だから、蛸唐草文。
フリーハンドで、うねうねと書かれた線が、
全体を埋め尽くすさまは、なんとなく草間彌生さんを彷彿とさせるものがあります。
今の時代、逆に女子ウケしそうかも。
しかし、何でまたこんなに蛸唐草文が蔓延っているのでしょう?
普通の唐草文は、ほとんど見かけなかったというのに。
その理由を、学芸員さんに教えてもらいました。
もともとは、一般的な唐草文が描かれていたそうです。
ところが、時代が進むにつれ、
白い画面をできるだけ、青く埋め尽くしたいという欲求 (?) が高まり、
まるでキャスキッドソンのような 「花唐草文」 が描かれるようになります。
しかし、この描き方では、時間と労力がかかるため、
そのうち、花の部分はあまり描かれなくなっていくとのこと。
そして、よりシステマティックに描ける蛸唐草文へと進化 (?) していくのです。
“ん?だったら、単純に全体を青く塗ればいいのでは?”
と、疑問に思ったのですが、
そもそも釉薬を塗る職人さんと絵付けをする職人さんは別とのこと。
色を均等に塗り重ねるのは、唐草文で埋め尽くすよりも、難易度は高いのだそうです。
ちなみに、唐草文の ‘成れの果て’ とされているのが、こちらの 「微塵唐草文」。
・・・・・唐草文って何かね?
その概念までが木っ端微塵に吹き飛ばされてしまいました。
そうそう。
余談ですが、戸栗美術館からの帰り道、
渋谷駅に向かって歩いていると、軽く青ざめる光景が目に飛び込んできました!
電信柱の広告は、すべて戸栗美術館のもの!
頑なまでに、Uターンさせようとしています。
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