ここ近年、展覧会等で作品が展示される機会が増え、
日本美術ファンの間での人気が急上昇中の画家・渡辺省亭。
彼がブレイクするそのきっかけとなったのが、
2年前に開催された “SEITEI~渡辺省亭 蘇る!孤高の神絵師” でした。
そんな省亭ブームの火付け役である加島美術が、
この秋、満を持して開催するのが、“小早川秋聲―無限のひろがりと寂けさと―” という展覧会。
知る人ぞ知る鳥取県ゆかりの日本画家・小早川秋聲 (しゅうせい) の関東圏では初となる回顧展です。
この展覧会を機に、小早川秋聲の知名度が全国区になるのは、ほぼ濃厚。
日本美術ファンならば、是非ともチェックしておきたいところです。
まずは簡単にプロフィールの紹介から。
小早川秋聲 (1885~1974) は、大正から昭和中期にかけて活動した日本画家。
鳥取県にあるお寺の住職の長男として生まれました。
しかし、幼き頃より、「おやつはいらないから紙をくれ」 とねだるほどに、絵が好きだったそう。
結果、画家の道へと進むこととなりました。
さて、70年にも及ぶ彼の画業の中で、
もっとも特筆すべき点は、戦争画を数多く制作していること。
(注:館内の写真撮影は、特別に許可を得ております)
実は、小早川秋聲は、日本画家として唯一、
従軍画家として中国や東南アジアなどの戦地に赴いた人物なのです。
そんな彼の代表作として知られているのが、《國之楯》。
陸軍からの依頼で制作された作品ながらも、
厭戦感を引き起こす可能性があるとの理由で、
完成後に受取拒否されてしまったたというエピソードを持つ異色の戦争画です。
当初は、横たわる日本兵の遺体の頭部には金色の円光が、
背後には桜の花びらが描かれていたそうですが、のちに、秋聲自身が黒く塗りつぶしたのだとか。
(よく見ると、うっすらその痕跡は残っていましたが)
何度か画集や美術系のテレビ番組で、この作品を目にしていたことはありますが、
秋聲の作品が関東初公開される今展のおかげで、初めて実物と対面することができました。
目にした瞬間、死というものを強烈に意識させられ、思わず胸がつぶれてしまいそうに。
これまでにも遺体が描かれた絵画は、ダヴィッドの 《マラーの死》 や、
同じく従軍画家であった藤田嗣治の《アッツ島玉砕》 をはじめ、いろいろと目にしていますが。
それらに描かれている遺体は、あくまで一つの物体のようにしか感じられませんでした。
しかし、《國之楯》 に描かれている遺体からは、
遺体であるにも関わらず、実に “生々しい” 印象を受けました。
きっとつい先ほどまで、彼の心臓は動いていたのでしょう。
きっとつい先ほどまで、彼が呼吸するたびに胸が上下していたのでしょう。
月並みな感想ではありますが、《國之楯》 と向き合うと、
戦争がいかに悲惨で、いかに愚かなものなのかを、強く実感させられます。
すべての人々、特にあの国会議員に観て頂きたい一枚です。
さてさて、従軍画家として戦争画も多く残している秋聲ですが、
四条派の流れを汲む日本画家として、京都画壇の画家らしい品格漂う作品も数多く残しています。
その中でも特に印象的だったのは、《細雨䔥ゝ》 という一枚です。
薄暗い夜の情景にポツンと一匹の蛍。
《國之楯》 とはまた違ったテイストで、寂けさを感じる作品でした。
この絵の前に立った瞬間、心にスーッと秋の風が吹いたような (←おそらく気のせい)。
森山直太朗の 「♪夏の~終~わり~」 という歌声が聞こえてきたような (←絶対に気のせい)。
また、若き頃から、経済的に恵まれていたという秋聲。
フランスやイタリア、ドイツ、イギリス、オランダ、
はては、インドにエジプトと、当時の人としては珍しく、頻繁に海外へ旅立っていたそうです。
そんなナオト・インティライミばりに、
ワールドトラベラーな秋聲ならではの作品も紹介されていました。
ちなみに、今回の出展作の中で最も大きなのが、《薫風》 という作品です。
実は、こちらは二曲一双の作品。
写真に写っているのは、その右隻に当たります。
加島美術のスペースの関係上、両方を同時に展示することは叶わなかったそう。
9月9日から始まる後期で、左隻と入れ替わるそうです。
コンプリートするには、前後期ともに訪れなくてはなりません。
会期は2週間と短め。
“わー・・・行きそびれてしまった・・・”
そんな寂しい想いをしませぬように。
1位を目指して、ランキングに挑戦中。
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日本美術ファンの間での人気が急上昇中の画家・渡辺省亭。
彼がブレイクするそのきっかけとなったのが、
2年前に開催された “SEITEI~渡辺省亭 蘇る!孤高の神絵師” でした。
そんな省亭ブームの火付け役である加島美術が、
この秋、満を持して開催するのが、“小早川秋聲―無限のひろがりと寂けさと―” という展覧会。
知る人ぞ知る鳥取県ゆかりの日本画家・小早川秋聲 (しゅうせい) の関東圏では初となる回顧展です。
この展覧会を機に、小早川秋聲の知名度が全国区になるのは、ほぼ濃厚。
日本美術ファンならば、是非ともチェックしておきたいところです。
まずは簡単にプロフィールの紹介から。
小早川秋聲 (1885~1974) は、大正から昭和中期にかけて活動した日本画家。
鳥取県にあるお寺の住職の長男として生まれました。
しかし、幼き頃より、「おやつはいらないから紙をくれ」 とねだるほどに、絵が好きだったそう。
結果、画家の道へと進むこととなりました。
さて、70年にも及ぶ彼の画業の中で、
もっとも特筆すべき点は、戦争画を数多く制作していること。
(注:館内の写真撮影は、特別に許可を得ております)
実は、小早川秋聲は、日本画家として唯一、
従軍画家として中国や東南アジアなどの戦地に赴いた人物なのです。
そんな彼の代表作として知られているのが、《國之楯》。
陸軍からの依頼で制作された作品ながらも、
厭戦感を引き起こす可能性があるとの理由で、
完成後に受取拒否されてしまったたというエピソードを持つ異色の戦争画です。
当初は、横たわる日本兵の遺体の頭部には金色の円光が、
背後には桜の花びらが描かれていたそうですが、のちに、秋聲自身が黒く塗りつぶしたのだとか。
(よく見ると、うっすらその痕跡は残っていましたが)
何度か画集や美術系のテレビ番組で、この作品を目にしていたことはありますが、
秋聲の作品が関東初公開される今展のおかげで、初めて実物と対面することができました。
目にした瞬間、死というものを強烈に意識させられ、思わず胸がつぶれてしまいそうに。
これまでにも遺体が描かれた絵画は、ダヴィッドの 《マラーの死》 や、
同じく従軍画家であった藤田嗣治の《アッツ島玉砕》 をはじめ、いろいろと目にしていますが。
それらに描かれている遺体は、あくまで一つの物体のようにしか感じられませんでした。
しかし、《國之楯》 に描かれている遺体からは、
遺体であるにも関わらず、実に “生々しい” 印象を受けました。
きっとつい先ほどまで、彼の心臓は動いていたのでしょう。
きっとつい先ほどまで、彼が呼吸するたびに胸が上下していたのでしょう。
月並みな感想ではありますが、《國之楯》 と向き合うと、
戦争がいかに悲惨で、いかに愚かなものなのかを、強く実感させられます。
すべての人々、特にあの国会議員に観て頂きたい一枚です。
さてさて、従軍画家として戦争画も多く残している秋聲ですが、
四条派の流れを汲む日本画家として、京都画壇の画家らしい品格漂う作品も数多く残しています。
その中でも特に印象的だったのは、《細雨䔥ゝ》 という一枚です。
薄暗い夜の情景にポツンと一匹の蛍。
《國之楯》 とはまた違ったテイストで、寂けさを感じる作品でした。
この絵の前に立った瞬間、心にスーッと秋の風が吹いたような (←おそらく気のせい)。
森山直太朗の 「♪夏の~終~わり~」 という歌声が聞こえてきたような (←絶対に気のせい)。
また、若き頃から、経済的に恵まれていたという秋聲。
フランスやイタリア、ドイツ、イギリス、オランダ、
はては、インドにエジプトと、当時の人としては珍しく、頻繁に海外へ旅立っていたそうです。
そんなナオト・インティライミばりに、
ワールドトラベラーな秋聲ならではの作品も紹介されていました。
ちなみに、今回の出展作の中で最も大きなのが、《薫風》 という作品です。
実は、こちらは二曲一双の作品。
写真に写っているのは、その右隻に当たります。
加島美術のスペースの関係上、両方を同時に展示することは叶わなかったそう。
9月9日から始まる後期で、左隻と入れ替わるそうです。
コンプリートするには、前後期ともに訪れなくてはなりません。
会期は2週間と短め。
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