ペール北山に不染鉄に、吉村芳生に、
最近では、ルート・ブリュックやメスキータと、
東京ステーションギャラリーはこれまで、知る人ぞ知る芸術家にスポットを当ててきました。
そんな東京ステーションギャラリーが、この秋、開催するのは・・・
“没後90年記念 岸田劉生展” という展覧会。
こちらは、言わずと知れた日本近代洋画界の巨匠・岸田劉生、
その没後90周年を記念して開催されるもので、北は北海道から南は九州まで、
日本各地より劉生の名品約150点が集結する展覧会です。
(注:館内の写真撮影は、特別に許可を得ております)
その中には、劉生の代名詞ともいうべき、娘の麗子を描いた肖像画や、
《麗子肖像(麗子五歳之像)》 1918年10月8日 東京国立近代美術館
重要文化財に指定された風景画の傑作 《道路と土手と塀(切通之写生)》 も含まれています。
重要文化財 《道路と土手と塀(切通之写生)》 1915年11月5日 東京国立近代美術館
良くも悪くも、東京ステーションギャラリー “らしさ” はなく、
いわゆるオーソドックスな、いわゆる王道の岸田劉生の回顧展でした。
「東京ステーションギャラリーが、王道の展覧会をやるわけない」 と、
勝手に思い込んでいただけに、勝手にちょっと裏切られた気がしてしまいましたが (笑)
展覧会としては、普通に・・・いや、普通以上に見ごたえがありました。
間違いなく、岸田劉生の展覧会の決定版です!
さてさて、作品が放つ迫真性にももちろん惹きつけられましたが、
それ以上に惹きつけられたのは、展覧会の随所で紹介されている劉生のエピソードでした。
なんと人間味溢れる人だったのでしょう。
若い頃はゴッホやセザンヌにかぶれていたり、貧乏で妻に苦労を強いたり、
肖像画のモデルを友人たちに強いすぎて、「首狩り劉生」 呼ばわりされたり。
数々のイタい・・・もとい、人間臭いエピソードが紹介されていました。
ちなみに、34歳になった頃からは、茶屋遊びにハマり、生活と創作を疎かにしたとのこと。
「茶屋遊び」 と表記すると風流な感じはしますが、
現代風に言い換えるなら、キャバクラ通いのようなもの。
芸術家なので、生活に難があるのはまだしも (←?)、創作活動にまで支障をきたすとは。。。
もし、今も生きていたら、確実に 『しくじり先生』 の候補です。
また、親バカゆえ (?) に、麗子を何枚も描いている劉生ですが、
若き日には、自画像を何枚も何枚も描いていました。
しかし、そのほとんどが同じ表情、同じ向き、同じポーズ、同じ服。
バリエーションが無いにもほどがあります。
このショットによほど自信があったのでしょうか?
はたまた、「何をやってもキ●タク」 状態なのでしょうか?
こちらの展示壁にいたっては、右から岸田劉生、岸田劉生・・・
ひとつ飛ばして岸田劉生、な状態となっていました。
ほぼほぼ変化は感じられませんが。
強いていうなら、最後に登場した劉生には、
タモさんばりに、「髪切った?」 とだけ言ってやりたいです。
多少こざっぱりしていました。
さてさて、今回出展されていた作品の中で、他にも印象的だったものをご紹介。
まずは、修復作業が完了し、発表当時に近い色や状態を取り戻したばかりのこちらの作品です。
《壺の上に林檎が載って在る》 1916年11月3日 東京国立近代美術館
その名も、《壺の上に林檎が載って在る》。
それ以上でもそれ以下でもない、そのまんまのタイトルです。
とりあえず、「なぜ載せたし?!」 と問いかけたくはなります。
また、《入澤達吉氏肖像》 (写真右) も印象的な一枚でした。
右手に似合わない花を持たされているこちらの人物は、
日本内科学会会長、東京帝国大学医学部部長を歴任した実はエラい医学博士なのだそう。
しかし、この人物に対し、劉生は、
「熱心にモデルしないから、思ふ様にかけない」 と愚痴をこぼしているのだとか。
確かに、よく見ると、右目がとんでもないことになっていました。
左目は二重なのに、右目は五重!
医学的にどうなんだ?!
それから、やはり外せないのが、麗子像の数々。
中でも一番印象に残っているのは、《麗子八歳洋装之図》 です。
和装のイメージが強い麗子ですが、
この作品では、AKB48みたいな衣装を着ていました。
表情は完全に無。
塩対応です。
ちなみに。
ちょっと不気味な印象を受ける麗子ですが、
お土産コーナーにでは、しりあがり寿さんの手によって、可愛いキャラに大変身。
ボーっとしていたら、あのキャラと見間違えてしまいそうな麗子グッズが多数販売されています。
こちらも要チェックですね。
1位を目指して、ランキングに挑戦中。
下のボタンをポチッと押して頂けると嬉しいです!
最近では、ルート・ブリュックやメスキータと、
東京ステーションギャラリーはこれまで、知る人ぞ知る芸術家にスポットを当ててきました。
そんな東京ステーションギャラリーが、この秋、開催するのは・・・
“没後90年記念 岸田劉生展” という展覧会。
こちらは、言わずと知れた日本近代洋画界の巨匠・岸田劉生、
その没後90周年を記念して開催されるもので、北は北海道から南は九州まで、
日本各地より劉生の名品約150点が集結する展覧会です。
(注:館内の写真撮影は、特別に許可を得ております)
その中には、劉生の代名詞ともいうべき、娘の麗子を描いた肖像画や、
《麗子肖像(麗子五歳之像)》 1918年10月8日 東京国立近代美術館
重要文化財に指定された風景画の傑作 《道路と土手と塀(切通之写生)》 も含まれています。
重要文化財 《道路と土手と塀(切通之写生)》 1915年11月5日 東京国立近代美術館
良くも悪くも、東京ステーションギャラリー “らしさ” はなく、
いわゆるオーソドックスな、いわゆる王道の岸田劉生の回顧展でした。
「東京ステーションギャラリーが、王道の展覧会をやるわけない」 と、
勝手に思い込んでいただけに、勝手にちょっと裏切られた気がしてしまいましたが (笑)
展覧会としては、普通に・・・いや、普通以上に見ごたえがありました。
間違いなく、岸田劉生の展覧会の決定版です!
さてさて、作品が放つ迫真性にももちろん惹きつけられましたが、
それ以上に惹きつけられたのは、展覧会の随所で紹介されている劉生のエピソードでした。
なんと人間味溢れる人だったのでしょう。
若い頃はゴッホやセザンヌにかぶれていたり、貧乏で妻に苦労を強いたり、
肖像画のモデルを友人たちに強いすぎて、「首狩り劉生」 呼ばわりされたり。
数々のイタい・・・もとい、人間臭いエピソードが紹介されていました。
ちなみに、34歳になった頃からは、茶屋遊びにハマり、生活と創作を疎かにしたとのこと。
「茶屋遊び」 と表記すると風流な感じはしますが、
現代風に言い換えるなら、キャバクラ通いのようなもの。
芸術家なので、生活に難があるのはまだしも (←?)、創作活動にまで支障をきたすとは。。。
もし、今も生きていたら、確実に 『しくじり先生』 の候補です。
また、親バカゆえ (?) に、麗子を何枚も描いている劉生ですが、
若き日には、自画像を何枚も何枚も描いていました。
しかし、そのほとんどが同じ表情、同じ向き、同じポーズ、同じ服。
バリエーションが無いにもほどがあります。
このショットによほど自信があったのでしょうか?
はたまた、「何をやってもキ●タク」 状態なのでしょうか?
こちらの展示壁にいたっては、右から岸田劉生、岸田劉生・・・
ひとつ飛ばして岸田劉生、な状態となっていました。
ほぼほぼ変化は感じられませんが。
強いていうなら、最後に登場した劉生には、
タモさんばりに、「髪切った?」 とだけ言ってやりたいです。
多少こざっぱりしていました。
さてさて、今回出展されていた作品の中で、他にも印象的だったものをご紹介。
まずは、修復作業が完了し、発表当時に近い色や状態を取り戻したばかりのこちらの作品です。
《壺の上に林檎が載って在る》 1916年11月3日 東京国立近代美術館
その名も、《壺の上に林檎が載って在る》。
それ以上でもそれ以下でもない、そのまんまのタイトルです。
とりあえず、「なぜ載せたし?!」 と問いかけたくはなります。
また、《入澤達吉氏肖像》 (写真右) も印象的な一枚でした。
右手に似合わない花を持たされているこちらの人物は、
日本内科学会会長、東京帝国大学医学部部長を歴任した実はエラい医学博士なのだそう。
しかし、この人物に対し、劉生は、
「熱心にモデルしないから、思ふ様にかけない」 と愚痴をこぼしているのだとか。
確かに、よく見ると、右目がとんでもないことになっていました。
左目は二重なのに、右目は五重!
医学的にどうなんだ?!
それから、やはり外せないのが、麗子像の数々。
中でも一番印象に残っているのは、《麗子八歳洋装之図》 です。
和装のイメージが強い麗子ですが、
この作品では、AKB48みたいな衣装を着ていました。
表情は完全に無。
塩対応です。
ちなみに。
ちょっと不気味な印象を受ける麗子ですが、
お土産コーナーにでは、しりあがり寿さんの手によって、可愛いキャラに大変身。
ボーっとしていたら、あのキャラと見間違えてしまいそうな麗子グッズが多数販売されています。
こちらも要チェックですね。
1位を目指して、ランキングに挑戦中。
下のボタンをポチッと押して頂けると嬉しいです!