近年、江戸絵画が人気です。
中でも人気なのが、伊藤若冲や曽我蕭白といった 「奇想」 の絵師たち。
昨年の今頃は、東京都美術館で、
“奇想の系譜展 江戸絵画ミラクルワールド” が開催され、大きな話題となりました。
ちなみに、今年の4月からは、東京都江戸東京博物館にて、
“特別展 「奇才―江戸絵画の冒険者たち―」” の開催が控えています。
まさに、「奇想」 の無双状態です。
と、そんな昨今の 「奇想」 ブームに対して、
「ちょっと待ったー!」 と声をあげたのが、府中市美術館。
「奇想」 が 「奇想」 としての魅力を発揮できるのは、
それを引き立たせるための 「ふつう」 の江戸絵画があるからこそ。
であれば、今こそ、「ふつう」 の江戸絵画にスポットを当てようではないか。
そんな一周周ったコンセプトで開催されているのが、
“ふつうの系譜 「奇想」があるなら「ふつう」もあります” という展覧会。
「ふつう」 にも、「ふつう」 ならではの魅力がある。
そんな 「ふつう」 の (でも、見落としがちな) ことを、
「ふつう」 にわかりやすく、かつ、「ふつう」 に面白く伝えてくれる展覧会です。
ハッキリ言って、「ふつう」 にオススメです。
さてさて、「ふつう」 とは言うものの、
この展覧会における 「ふつう」 とは、 “一般的” という意味ではありません。
「ふつう=主流派」。「ふつう=王道」。「ふつう=正統派」。
漫才に例えると、ミルクボーイの行ったり来たり漫才や、
ぺこぱのノリつっこまない漫才が、「奇想」 であるならば、
爆笑問題や中川家、ナイツの漫才を 「ふつう」 と評するようなものでしょうか。
「ふつう」 の江戸絵画の展覧会という言葉だけみると、
9段階評価でいう 『中の中』 の作品が紹介されている印象を受けるかもしれませんが。
会場には、土佐光起の 《菊鶉図》 や、
岸恭の 《四季花卉図屏風》 をはじめ、
絵師の名前こそピンとこないものの、
『上の上』 ないしは、『上の中』 クラスの作品が集結していました。
どの作品も、「ふつう」 に美しく、
「ふつう」 に目を惹かれてしまいましたが。
中でも目を惹かれたのは、幕末から明治にかけて、
京都画壇で活躍したという塩川文麟の 《柳汀飛蛍図》 です。
ほの暗い闇の中に浮かぶ蛍の光。
この光の部分は、金泥を使って描かれています。
つまり、実際にキラリ (正しくは、ドロリ?) と画面で光っていました。
照明の明かりでなく、蝋燭の明かりの中で観たら、もっと臨場感が増すことでしょう。
また同じく目を惹かれたのが、鈴木松年の 《朝陽蟻軍金銀搬入図》。
画面の中央いっぱいに描かれた太陽に気を取られ、
一瞬気が付かなかったのですが、よく見ると、足元に蟻の大群が描かれていました。
しかも、さらに、よく見ると、せっせと金銀を運んでいます。
ダリよりも先に、蟻の群れを描いている画家が日本にいたとは。
それも、ダリよりもシュールな設定だとは。
「ふつう」 に何だか誇らしい気持ちになりました。
また、紹介されているエピソードが印象的だったのが、冷泉為恭の 《五位鷺》 。
ある日、醍醐天皇が池に鷺がいるのを見て、
六位の蔵人に、「あの鷺を捕まえてこい」 と命じました。
鷺を捕まえたことのない六位の蔵人。
おそるおそる鷺に近づき、とりあえずこう言ったそうな。
「天皇の命令だぞ!」
すると、鷺は飛ぶことなく、
無事に捕まえることが出来たそうです。
そのエピソードを聞いた天皇は、「なんと殊勝な鷺なのだ!」 と感動。
そして、鷺を五位に叙したのだとか。
それが、五位鷺の名の由来とのこと
・・・・・・・・ん?
鷺を捕まえた蔵人よりも、鷺のほうが位が上になってるじゃん。
蔵人はこの人事が不服だったに違いありません。
もう一つ印象的だったのが、狩野栄信の 《菊慈童・菊図》 で紹介されていたエピソード。
菊慈童は、中国の周の穆王の寵愛を受けていたという美少年。
しかし、周囲の妬みからあらぬ罪をかけられ、彼は都を追放されてしまいます。
そして、人里離れた山で一人過ごすことに。
そのことを不憫に思った穆王は密かに、菊慈童にある経文を届けさせました。
王から頂いた経文を忘れぬよう、
山の中に咲いていた菊の葉に書き、毎日お経を唱えていた菊慈童。
ある日、その菊の葉から流れた水を飲んだところ、とんでもない奇跡が起こりました!
なんと菊慈童は不老不死になったのです。
・・・・・・・いやいやいや。
人里離れた場所で、それも一人きりなのに、不老不死って。。。
逆に地獄だよ。
ちなみに。
「奇想」 がお好きな方もどうぞご安心を。
今回の展覧会では、「奇想」 と 「ふつう」 の中間、
まさにハイブリッドのような江戸の絵師も紹介されています。
特にフィーチャーされていたのが、岸駒。
若冲や応挙よりもずっと若い世代 (第7世代?) の京都の絵師です。
↑《虎図》 も 《白蓮翡翠図》 も、
一度目にしただけで脳裏に焼き付くようなインパクトがありましたが。
とりわけインパクトがあったのが、こちらの 《寒山拾得図》 です。
暗い夜道。
一人で歩いていると、背後から謎の足音が聞こえてくる。
それも、どうやら二人組のようだ。
歩くスピードをあげると、背後の足音もスピードがあがる。
歩みを止めると、背後の足音もピタッとやむ。
間違いない。誰かに付けられている。
勇気を出して振り向くと、そこに立っていたのは、怪しげなこの2人組。
そして、ニタニタ笑いながら、こう言うのです。
「この開運の数珠、買いませんか?」
買わねーよ。
1位を目指して、ランキングに挑戦中。
下のボタンをポチッと押して頂けると嬉しいです!
中でも人気なのが、伊藤若冲や曽我蕭白といった 「奇想」 の絵師たち。
昨年の今頃は、東京都美術館で、
“奇想の系譜展 江戸絵画ミラクルワールド” が開催され、大きな話題となりました。
ちなみに、今年の4月からは、東京都江戸東京博物館にて、
“特別展 「奇才―江戸絵画の冒険者たち―」” の開催が控えています。
まさに、「奇想」 の無双状態です。
と、そんな昨今の 「奇想」 ブームに対して、
「ちょっと待ったー!」 と声をあげたのが、府中市美術館。
「奇想」 が 「奇想」 としての魅力を発揮できるのは、
それを引き立たせるための 「ふつう」 の江戸絵画があるからこそ。
であれば、今こそ、「ふつう」 の江戸絵画にスポットを当てようではないか。
そんな一周周ったコンセプトで開催されているのが、
“ふつうの系譜 「奇想」があるなら「ふつう」もあります” という展覧会。
「ふつう」 にも、「ふつう」 ならではの魅力がある。
そんな 「ふつう」 の (でも、見落としがちな) ことを、
「ふつう」 にわかりやすく、かつ、「ふつう」 に面白く伝えてくれる展覧会です。
ハッキリ言って、「ふつう」 にオススメです。
さてさて、「ふつう」 とは言うものの、
この展覧会における 「ふつう」 とは、 “一般的” という意味ではありません。
「ふつう=主流派」。「ふつう=王道」。「ふつう=正統派」。
漫才に例えると、ミルクボーイの行ったり来たり漫才や、
ぺこぱのノリつっこまない漫才が、「奇想」 であるならば、
爆笑問題や中川家、ナイツの漫才を 「ふつう」 と評するようなものでしょうか。
「ふつう」 の江戸絵画の展覧会という言葉だけみると、
9段階評価でいう 『中の中』 の作品が紹介されている印象を受けるかもしれませんが。
会場には、土佐光起の 《菊鶉図》 や、
岸恭の 《四季花卉図屏風》 をはじめ、
絵師の名前こそピンとこないものの、
『上の上』 ないしは、『上の中』 クラスの作品が集結していました。
どの作品も、「ふつう」 に美しく、
「ふつう」 に目を惹かれてしまいましたが。
中でも目を惹かれたのは、幕末から明治にかけて、
京都画壇で活躍したという塩川文麟の 《柳汀飛蛍図》 です。
ほの暗い闇の中に浮かぶ蛍の光。
この光の部分は、金泥を使って描かれています。
つまり、実際にキラリ (正しくは、ドロリ?) と画面で光っていました。
照明の明かりでなく、蝋燭の明かりの中で観たら、もっと臨場感が増すことでしょう。
また同じく目を惹かれたのが、鈴木松年の 《朝陽蟻軍金銀搬入図》。
画面の中央いっぱいに描かれた太陽に気を取られ、
一瞬気が付かなかったのですが、よく見ると、足元に蟻の大群が描かれていました。
しかも、さらに、よく見ると、せっせと金銀を運んでいます。
ダリよりも先に、蟻の群れを描いている画家が日本にいたとは。
それも、ダリよりもシュールな設定だとは。
「ふつう」 に何だか誇らしい気持ちになりました。
また、紹介されているエピソードが印象的だったのが、冷泉為恭の 《五位鷺》 。
ある日、醍醐天皇が池に鷺がいるのを見て、
六位の蔵人に、「あの鷺を捕まえてこい」 と命じました。
鷺を捕まえたことのない六位の蔵人。
おそるおそる鷺に近づき、とりあえずこう言ったそうな。
「天皇の命令だぞ!」
すると、鷺は飛ぶことなく、
無事に捕まえることが出来たそうです。
そのエピソードを聞いた天皇は、「なんと殊勝な鷺なのだ!」 と感動。
そして、鷺を五位に叙したのだとか。
それが、五位鷺の名の由来とのこと
・・・・・・・・ん?
鷺を捕まえた蔵人よりも、鷺のほうが位が上になってるじゃん。
蔵人はこの人事が不服だったに違いありません。
もう一つ印象的だったのが、狩野栄信の 《菊慈童・菊図》 で紹介されていたエピソード。
菊慈童は、中国の周の穆王の寵愛を受けていたという美少年。
しかし、周囲の妬みからあらぬ罪をかけられ、彼は都を追放されてしまいます。
そして、人里離れた山で一人過ごすことに。
そのことを不憫に思った穆王は密かに、菊慈童にある経文を届けさせました。
王から頂いた経文を忘れぬよう、
山の中に咲いていた菊の葉に書き、毎日お経を唱えていた菊慈童。
ある日、その菊の葉から流れた水を飲んだところ、とんでもない奇跡が起こりました!
なんと菊慈童は不老不死になったのです。
・・・・・・・いやいやいや。
人里離れた場所で、それも一人きりなのに、不老不死って。。。
逆に地獄だよ。
ちなみに。
「奇想」 がお好きな方もどうぞご安心を。
今回の展覧会では、「奇想」 と 「ふつう」 の中間、
まさにハイブリッドのような江戸の絵師も紹介されています。
特にフィーチャーされていたのが、岸駒。
若冲や応挙よりもずっと若い世代 (第7世代?) の京都の絵師です。
↑《虎図》 も 《白蓮翡翠図》 も、
一度目にしただけで脳裏に焼き付くようなインパクトがありましたが。
とりわけインパクトがあったのが、こちらの 《寒山拾得図》 です。
暗い夜道。
一人で歩いていると、背後から謎の足音が聞こえてくる。
それも、どうやら二人組のようだ。
歩くスピードをあげると、背後の足音もスピードがあがる。
歩みを止めると、背後の足音もピタッとやむ。
間違いない。誰かに付けられている。
勇気を出して振り向くと、そこに立っていたのは、怪しげなこの2人組。
そして、ニタニタ笑いながら、こう言うのです。
「この開運の数珠、買いませんか?」
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