現在、上野の森美術館では、
“なんでもない日ばんざい!” という展覧会が開催されています。
どこか 『ロード』 の歌詞の一節を彷彿とさせるタイトルのこちらの展覧会。
本来、今の時期は、別の展覧会が予定されていたそうなのですが、
新型コロナウィルスの影響により、中止を余儀なくされてしまいました。
しかし、コロナに負けない上野の森美術館。
急遽、「なんでもない、どこにでもある日常」 をテーマに、
上野の森美術館の所蔵品を紹介する展覧会を開催することを決めたのだそうです。
実は、意外にも、これまでまとまった形で、
上野の森美術館の所蔵品を展示したことは無かったとのこと。
確かに、言われてみれば、上野の森美術館コレクション展を観た記憶がありません。
というか、そもそも上野の森美術館がコレクションを持っている印象すらありませんでした。
ところがどっこい。
宮家から寄贈頂いた作品や幕末から昭和初期までの版画をまとめて収蔵しているだけでなく、
1983年から毎年開催されている上野の森美術館大賞展の受賞作品も数多く所蔵しているそう。
そのコレクション総数は、約1500点にも及ぶそうです。
決して、“なんにもない” 美術館ではありませんでした。
さて、今回の展覧会には、これまでまとめて披露される機会がなかった、
過去の上野の森美術館大賞の受賞作品のうち、約80点が出展されています。
それらの中には、近年勢いのある若手作家の初期の作品もちらほら。
彼ら彼女らが今ほど注目を集めていなかった頃の、
例えるならば、インディーズ時代の、粗削りながらも全力プレイの頃の作品の数々と出合えました。
(もちろん、今も全力プレイでしょうが)
多くの作品から、「賞を取りたい!」「売れたい!」 といった、
熱いパッションのようなものがヒシヒシと伝わってくるようでした。
ここ最近、藝大への受験をテーマにした漫画 『ブルーピリオド』 にドはまりしているのですが。
その世界観に、どことなく通ずるものがありました。
『ブルーピリオド』 を読んでいる方なら、おそらくこの感覚を共有してくださるはず!
是非、この展覧会を訪れてみてくださいませ。
ちなみに。
出展作の中で特に印象に残ったものをいくつかご紹介いたしましょう。
まずは、菅澤薫さんの 《赤い蜘蛛の巣》 から。
洗濯ものを干すヤツに、身体を絡ませた経験はきっと誰しもあるはず。
僕は子どもの頃に、自分が着てる服の肩や腕のところを洗濯ばさみに挟みました。
で、干されているごっこをしました。
・・・・・・もしかして、僕だけですか??
何はともあれ、洗濯ばさみを干すヤツで、
心情を表現するというのは、ありそうでなかった発想で、特に印象に残りました。
ありそうでなかった、といえば、
牧野晏長さんの 《せかいのはて》 という作品も。
洗面所にある鏡に向き合う鳩を、俯瞰した視点で描いた一枚です。
キャプションには、鏡に映った鳩を自分と認識しておらず、
コミュニケーションを取ろうとしている鳩を、無意味なものだと人間が眺めている、とありましたが。
朝起きたら、鳩になっていた。
そんな一場面のようにも感じられました。
「おいおい、ウソだろ。どこからどう見ても、俺、鳩だよな・・・・・・」 的な。
もしも、映画であれば、この後に、何も知らない母親が、
洗面所に入ってきて、鳩に驚き、必死に追い出すことでしょう。
続いても、ありそうでなかった発想で描かれた作品。
井上舞さんの 《メカ盆栽~流れるカタチ~》 です。
そのタイトルから、何かメカニカルなものに盆栽をしているようなイメージをしていたのですが。
そうではなく、盆栽そのものがメカになっていました。
盆栽をメカ化してみよう。
人生で一度も思い付いたことが無い発想です。
その発想力も素晴らしいですが、
作品として観た時に、違和感がないところが、さらに素晴らしい。
こういうものが世にあるような、それも、昔からあったかのような、不思議な説得力がありました。
ちなみに。
展覧会には、上野の森美術館大賞受賞作とは別に、
秋山さやかさんが過去に上野公園を題材に制作した作品と、
版画家・野田哲也さんによる 《日記》 シリーズも特別展示されています。
《日記》 シリーズは、1968年から今日まで継続して制作されている作品シリーズ。
なんでもない日々の生活の中で、家族や野菜、紙袋など、
野田さんが目にとまったものを撮影し、その写真をもとにして、
シルクスクリーンと木版を組み合わせて作品にしているものです。
その中には、娘さんをモチーフにしたものも。
よく見ると、手に体操服袋を持っていました。
体操服袋ってあったなぁ。
母が手作りしてくれたヤツ。
帰り道に、サッカーボールのように蹴りながら帰ったのを、ふと思い出しました。
あの頃は楽しかったなぁ。
なんでもない日ばんざい!