東京藝術大学大学美術館や武蔵野美術大学美術館、
東京造形大学付属美術館には何度も足を運んでいますが。
意外と今まで訪れる機会が無かった多摩美術大学美術館。
多摩美のキャンバスは八王子と上野毛にあるので、
そのどちらかに美術館があるのだろう・・・と思い込んでいたのですが。
八王子でもなければ、上野毛でもなく、
多摩センター駅の近くに、他の大学施設と独立する形で存在していました。
さてさて、そんな意表を突く (?) 多摩美術大学美術館で、
現在開催されているのが、“真喜志勉 Turbulence 1941-2015” という展覧会。
こちらは、沖縄を拠点に活動した美術家・真喜志勉、
またの名を、TOM MAX (1941~2015) の沖縄県外では初となる大規模な展覧会です。
まだ本土と行き来するにはパスポートが必要だった際に、
多摩美術大学に入学し、学生時代を過ごしたという真喜志勉。
卒業後は、特に美術団体などに所属することなく、
1970年代以降は、ほぼ毎年のように沖縄で個展を開催し、新作を発表し続けたそうです。
今展では、そんな約50年にも及ぶ画業で発表された作品が約100点ほど紹介されていました。
まず最初の展示室では、沖縄が本土に復帰した1970年代の作品が紹介されています。
その作風は、どことなくウォーホルのポップアートのようでもあり、
ポップアートの次の世代のロバート・ラウシェンバーグのようでもあり。
描かれているモチーフも含めて、
どの作品にもアメリカの影響が見て取れました。
アメリカンダイナーの店内に飾ってあっても、全く違和感のない感じです。
ただ、アメリカンな陽気さがあるかといえば、むしろその逆。
どことなく影が感じられます。
アメリカに憧れがある一方で、沖縄県民としてアメリカに苦しめられている。
そんな葛藤が絵に現れているようでした。
1980年代に入ると、色調はより暗いものに。
グレーが目立つようになります。
沖縄といえば、青い海や赤い瓦、
もしくはゴーヤチャンプルーの黄色と緑のように、カラフルなイメージがありますが。
沖縄県にはコンクリートの建築や巨大な墓が多く、街の至るところで、グレーを見かけるのだとか。
言われてみれば、基地のアスファルトや米軍の飛行機もグレーですね。
1990年代に入ると、半年にわたる入院生活を過ごしたことや、
自宅の改修、さらにベルリンの壁崩壊のニュースが重なり、「壁」 に強い関心を抱くように。
実際に漆喰も使った 「壁」 シリーズを制作したそうです。
そして、2000年代に入ると、9.11の同時多発テロ事件や、
沖縄国際大学へのヘリ墜落事故や普天間基地移転問題など、
時事的な問題に即座に対応し、それに声を上げるような作品を制作し続けたのだそうです。
展覧会のタイトルになっている 「Turbulence」 は、
その頃に制作された作品に、よく描かれた単語の一つ。
直訳すると、「乱気流」。
よくオスプレイの絵とともに、「Turbulence」 の単語が描かれているそうです。
さてさて、作品だけ見ると、やや暗い印象を受けるかもしれませんが。
“TOM MAX” を自称するだけあって、ご本人はとってもチャーミングな人物でした。
その人間性が伝わってくるのが、資料として展示されていた展覧会のDMの数々です。
例えば、『饒舌と寡黙』 と題されたエッセイのようなもの。
内容を抜粋すると、真喜志勉は酒の席で饒舌ゆえに、
そのキャラを知った上で、寡黙な絵を見ると、人はダマされた気分になるらしい、とのこと。
制作の日が火曜と木曜なので、“カモクな人” なのです、と書いてあります。
なかなかの親父ギャグです。
さらに、こんなDMも。
「このシチュエーションに、笑えるセリフを考えて下さい。」
完全にIPPONグランプリです。
ちなみに、2005年頃に開催された展覧会のタイトルは、“ピン芸人宣言” だったそうです。
歴史に “もしも” はないですが、真喜志勉があと10年20年遅く生まれていたら―。
R-1ぐらんぷりに出場していたかもしれません。
せやろがい!