現在、練馬区立美術館では、
“式場隆三郎 脳室反射鏡” が開催されています。
(注:館内の写真撮影は、特別に許可を得ております。)
展覧会の主役は、この人。
式場隆三郎。
「・・・・・・・・どちら様??」 と思った方も多いことでしょう。
ご安心ください。
僕もその一人です。
式場隆三郎は、新潟生まれの精神科医。
1936年には、千葉県市川市国府台に精神病院である式場病院を設立しています。
「精神病院=暗い」 というイメージを払拭すべく、
広大なバラ園を併設するなど、日本の精神医療界に大きな足跡を残した人物です。
と、精神科医として活動する一方で、
実は、日本の美術界にもさまざまな足跡を残しています。
精神科医として、ゴッホに興味を抱いた式場。
1932年には、『ファン・ホッホの生涯と精神病』(※) という書籍を出版しています。
(※「ゴッホ」 ではなく、「ホッホ」 となっているのは誤植ではないですよ!)
さらに、ゴッホを日本に広めるべく、
(おそらく) 日本初となるゴッホ展を、日本各地で開催しました。
なお、こちらのヴァン・ゴッホ展は、
実物を海外から借りてきたものではなく、すべて複製画によるものだったそうです。
しかし、複製画とはいえ、初めて目にするゴッホに、多くの日本人が惹きつけられたのだそう。
日本人がゴッホに対して抱く、
炎の人というイメージは、この展覧会を通じて植え付けられたのだとか。
現代においてもなお、ゴッホが好きな日本人。
そのルーツを作ったのが、式場隆三郎だったのですね。
さらに!
式場は、顧問を務めていた福祉型障害児入所施設・八幡学園で、
ちぎり絵細工に没頭していた一人の青年と運命的な出会いを果たします。
その才能に気づいた式場は、彼を大々的にプロデュースしました。
その人物こそが・・・・・・
や、山下清なんだな。
て、展覧会を開催するだけでなく、
小林桂樹主演の映画、は、 『裸の大将』 の監修も務めたんだな。
まだアウトサイダーアートという概念がないこの時代。
もし、式場と出会っていなかったら、
山下清は知られざる画家のまま、この世を去っていたかもしれません。
そして、『裸の大将』 が制作されることがなかったかもしれません。
式場隆三郎様々です。
また、柳宗悦やバーナード・リーチとも交流が深かった式場。
実は、“民藝運動” にも、深く関わっています。
それゆえ、会場には、ゆかりのある民藝作品が数多く紹介されていました。
ゴッホ (複製画ではありますが) 。山下清。民藝。
分野の全く違うこの3つが揃う展覧会は、
間違いなく、後にも先にもこの展覧会だけでしょう。
ちなみに。
昭和30年、アントワープにて大規模なゴッホ展が開催される際に、
式場はベルギーから、ゴッホをモチーフにした工芸品を制作し、出展して欲しいと依頼を受けます。
こうして生まれたのが、これらの品々です↓
当然、ミュージアムグッズなんてまだ存在していない時代。
すでに、こんなゴッホグッズ (?) が作られていただなんて。
リバイバルしたら売れそうな気がします。
関係者の皆さま、次のゴッホ展あたりに、いかがでしょうか?