高崎市美術館、高崎市タワー美術館に続いて、
高崎市山田かまち美術館に足を運んできました。
こちらは、幼い頃より絵や詩の才能を発揮し、
17歳という若さでこの世を去った山田かまちの作品を展示する美術館です。
山田かまちの才能に最初に注目が集まったのは、何と小学3年生の時のこと。
冬休みの宿題に、かまちはわずか1時間で、52枚の動物画を描き上げます。
そのうちの1枚が、こちら↓
その非凡な才能に、東京藝術大学出身だった当時の小学校の担任は驚愕。
先日の記事でも登場した高崎を代表する実業家であり、
芸術のパトロンでもあった井上房一郎に、かまちを引き合わせます。
井上房一郎は、かまちの才能を認め、
「うまく伸ばせば、光琳や宗達のようになる」 と助言したのだとか。
中学校に入学してからは、天体観測や音楽に夢中に。
音楽の中では、特にビートルズなどのロックに興味を持つようになります。
中3の時には、友人とバンドを組み練習をすることも。
その友人というのが、氷室
そう、のちのBOØWYのメンバーです。
中学卒業後、受験に失敗し、一浪するも17歳で高校に入学。
しかし、その8月に、エレキギターの練習中に感電死してしまいます。
その死後、かまちの部屋から、大量の絵と詩が発見されました。
それらの遺作を紹介する展覧会が死の4年後に、前橋市で開催。
さらに、平成元年には、井上房一郎が主催となり、
高崎市のとあるギャラリーで “山田かまち水彩デッサン展” が開催されます。
これを機に、全国的な山田かまちブームが起き、
平成4年に現在の美術館の前身となる山田かまち水彩デッサン美術館が誕生したのです。
館内には、かまちの絵やノートに書かれた詩、
さらには、かまちの愛用品の数々が展示されています。
それらの中には、『美の巨人たち』 でも紹介された 《青い自画像》 や、
《プリーズ・ミスター・ポストマン》 といった作品も。
ナイーブで繊細、それでいて瑞々しいオーラが、画面全体から放たれていました。
アオハルかよ。
あまりにも眩しすぎて、青春時代をとうに過ぎた僕には、直視しづらかったです (笑)
ちなみに、《青い自画像》 よりも、
《プリーズ・ミスター・ポストマン》 よりも衝撃だったのが、山田かまちのラブレター。
まずそもそも、ラブレターの全文が、
美術館で晒されているということにも衝撃を受けましたが (←僕なら死にたい)。
その内容が、破壊力抜群!
予備校時代のクラスメイトに宛てたラブレターなのですが、
直球で想いを伝えてからの、「なぜ僕を避けるんだい?」 発言に、ゾワっとするものがありました。
さらに、そのくだりがいったん落ち着くと、謎のロック好きアピール。
「クラシックは美しい一つのティーカップにすぎない」 とか、
「フォーク (ソング) は煮え切らないやつらのお遊びにすぎない」 とか。
きっとラブレターを受け取った女性の頭には、無数のはてなマークが浮かんだことでしょう。
山田かまちはイケメンだったので、なんとなくギリギリセーフな印象になっていますが (←?)。
一般的な男性なら、通報レベルです。