この秋、国立歴史民俗博物館では、
“性差(ジェンダー)の日本史” という企画展示が開催されています。
日本の歴史における 『性差(ジェンダー)』 は、いつ誕生したのか?
そして、どのように変化していったのか?
280点を超える資料を通じて紹介するものです。
(注:館内は写真撮影禁止です。特別な許可を得て撮影しています。)
展覧会は、「古代」 からスタート。
弥生時代から古墳時代にかけては、
例えば、卑弥呼がいたように、女性リーダーも数多く存在していました。
古墳から出土する埴輪にも、男子と女子が存在しています。
男女それぞれの役割の違いはあれど、
特に男女どちらかが優位ということはなかったとのこと。
男女ともに政治にも仕事にも参加していたようです。
ちなみに、パレードのように並べられたこれらの埴輪の中で、
特に気になったのが、重要文化財の 《機を織る女性坐像埴輪》 です。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・どの辺がどう?機を織る女性??
もしかしたら、バカには見えない埴輪のたぐい (←?) なのかと思いきや。
こちらの埴輪は、上部が大きく消失しているのだそうです。
会場では、復元された3D映像が紹介されていました。
まさかの彌生ちゃんスタイル!
草間彌生のルーツは、弥生時代にあり?!
意外な真実を知ることができました (←?)。
・・・・・と、話を戻しまして。
ではでは、一体いつ性差は誕生したのでしょうか?
転換点となったのは、7世紀の律令制度の導入とのこと。
律令制度の中核をなす戸籍制度や税制が、男女の区分を必要としたのだそうです。
その大きな理由は、男性には兵役制度が課せられていたから。
国家は男性か女性かを把握する必要があったのですね。
ちなみに、当時の戸籍では、100%ではないですが、
女性には 「売(メ)」 の印が付けられていたそうです。
なお、律令制度が導入される以前の 『古事記』 では、
特に戸籍という概念がないため、男女の差はなかったとのこと。
子どもは生まれた順に列挙されているようです。
さてさて、本展示ではこの後、
「政治空間」 や 「仕事とくらし」 といったテーマで、
中世や近世における性差が掘り下げられていきます。
展示物は、資料が多め。
内容も実に多岐にわたっているので、
パラパラ眺める程度では、あまり頭に入ってきません。
じっくり向き合う必要があります。
ジェンダーに興味がある方はより興味深く、そうでない方はそれなりに楽しめる。
そんな企画展示でした。
なお、個人的に特に印象深かったのが、「性の売買」 というテーマ。
実は遊女の立ち位置は、中世と近世で大きく違っているのだそうです。
中世の遊女は、売春だけではなく、
宿屋を経営したり、歌や舞などの芸能を生業としていたのだそう。
その権利は、代々女系で受け継がれていました。
つまり、自営業者だったのです。
しかし、江戸時代になると、人身売買による売春が幕府によって公認されることに。
このことにより、遊女は職業から “商品” へと、立ち位置が大きく変化します。
会場の一角には、かつて滋賀県にあった遊廓の一室を再現した展示がありましたが。
紹介されている遊女の過酷な暮らしぶりに、思わず胸が苦しくなりました。。。
男の自分ですら苦しいのですから、
もし、女性が見たなら、より苦しいものがあるはずです。
ちなみに。
会場では、さらに明治以降の売春事情についても掘り下げられていました。
数ある資料の中でとりわけ衝撃的だったのは、 『全国遊廓案内』 という一冊。
「男旅へ出たら遊廓へ宿れ 本書は旅行家の妻だ!
全国六百 (殖民地共) の遊郭を一つも漏無く書いた。
場所も沿革も費用も楼名も娼妓の生国も附近の名勝も旧跡迄も書いた。
旅のコースを定める人は読め。」
・・・・・というこの広告文が、
なんと読売新聞の朝刊の一面に掲載されたのだとか。
スポーツ新聞や写真週刊誌ならまだしも、全国紙に。
しかも、昭和5年に。
実は、このように最近では、売る側だけでなく、買う側の研究も進んでいるのだそう。
その重要資料の一つとして、『北新地五番町遊廓遊客帳』 なるものが展示されていました。
こちらは、京都市にあった五番町遊廓の遊客名簿 (昭和9年)。
名前や年齢、職業、住所などが、バッチリ記載されているそうです。
そのため、この資料をもとに、どの年代が多いのかや、
どんな職業の人が女性を買う傾向にあるのか、研究が進められているそう。
まさかそんなことを後の世の時代の研究者によって調べられるだなんて!
彼らは夢にも思っていなかったことでしょう。
今、風俗に通っている方、ご注意のほどを。
┃会期:2020年10月6日(火)~12月6日(日)
┃会場:国立歴史民俗博物館
┃企画展示会場内の混雑防止のため、会期中の土・日・祝日、
詳細はhttps://www.