もしも、芸術家たちが漫才をしたら・・・
こんな感じのネタを披露するのかもしれません。
それでは、皆様、どうぞ芸術漫才をお楽しみください!
春草 「どーも!朦朧問題の菱田 [1] です」
大観 「伊勢谷友介です」
春草 「違うだろ!横山大観 [2] だろ!」
大観 「いやぁ、彼が世間に迷惑をかけましてね。
申し訳ない気持ちでいっぱいですよ、本当に」
春草 「何でお前が謝ってんだよ!」
大観 「だって、彼は藝大出身ですよ。僕らの後輩に当たるわけですから」
春草 「まぁね。僕らは今の藝大の前身にあたる東京美術学校を卒業してますからね」
大観 「だからね。彼のことは嫌いになっても、藝大のことは嫌いにならないでください」
春草 「うるせーよ!あのね。彼も大変だけど、僕らだって大変なんですから」
大観 「あっ、そうなんですよ!」
春草 「僕らの描いた日本画が、評論家たちからバッシングを受けてるんですよ」
大観 「イヤになっちゃうよね、まったく」
春草 「最近では、僕らの絵は 『朦朧体』 って呼ばれてるらしいですよ」
大観 「大麻やって朦朧とした意識で描いているからね」
春草 「やってねーよ!もうその話題から離れろよ!
見た目がぼや~っとして、朦朧としてるようだから 『朦朧体』 なんだよ」
大観 「俺たち、何でそんな絵を描いてるんだっけ?」
春草 「えっ?自分のことなのに忘れたの?」
大観 「ちょっと記憶が朦朧としてまして」
春草 「そこは覚えとけよ!
あのね、もともとは岡倉天心先生 [4] が、
日本画で空気や光を描けないかと言い出したんだよ」
大観 「あの人、無茶ぶりしますからね」
春草 「それで、僕らもいろいろと考えて、
西洋の絵画のように、輪郭線を使わない技法を編み出しまして」
大観 「画期的な技法だよな」
春草 「ただ、あまりにも画期的すぎて、
『日本画=線』 と思っている人たちからは、ものすごい反感を買ってるんだよ」
大観 「何もそんなに怒らなくたっていいじゃないですかねぇ」
春草 「この前なんてもっとヒドくて、
何を描いているかわからないから、おばけのような絵 [5] だって言われたからね」
大観 「でも、あの絵は、おばけを描いた絵だったんですけどね」
春草 「じゃあ、ちゃんと伝わってんじゃねーかよ!
それは、おばけのような絵って言われて当然だろ!
あと、大変って言ったら、それこそ岡倉先生も大変ですよね」
大観 「あれはビックリしたよね」
春草 「いきなり東京美術学校の校長を辞任ですよ」
大観 「ラジオの終了1分前に、急にカミングアウトしだして。
朝早く起きて、夜早く寝るという生活をしていて、校長が辛くなって・・・」
春草 「そんなグラビアアイドルみたいな理由じゃねーよ!」
大観 「あっ、危険タックル問題か!」
春草 「それも違ぇ-よ!それは日大の学長だろ!
そうじゃなくて、怪文書が出回ったんだよ」
大観 「またヒドいことするヤツがいるよね」
春草 「この怪文書にとんでもないことが、いっぱい書かれてたんだって。
“岡倉覚三なる者は”・・・あ、これは岡倉先生の本名ね。
“一種奇怪なる精神遺伝病を有し” とか “非常なる惨忍の性を顕し” とか [6]」
大観 「非常なる惨忍の性って、『鬼滅の刃』 の鬼みたいな言われようだよね」
春草 「まぁ、確かにね」
大観 「とにかく、そういう悪口がダーッと書き連ねてあって」
春草 「そうそう」
大観 「で、一番最後に 『by 横山大観』 って」
春草 「お前が犯人なのかよ!」
大観 「『with 菱田春草』」
春草 「俺まで巻き込んでじゃねーよ!」
大観 「でも、この怪文書で何が一番大変だったって。
岡倉先生の不倫がバレちゃったことだよな」
春草 「確かにね。しかも、その不倫相手っていうのが、またスゴいよね。
岡倉先生の活動を支援していた帝国博物館初代総長の九鬼隆一の妻の九鬼波津子」
大観 「九鬼波津子って、また 『鬼滅の刃』 の登場人物みたいな名前なんだよな」
春草 「いちいち 『鬼滅の刃』 に絡めなくていーから!」
大観 「九鬼波津子。通称、クッキーね」
春草 「ベッキーみたいに言うなよ!」
大観 「怪文書で2人の仲が公になった時も、
『友達で押し通す予定!笑』 って言ったらしいですよ」
春草 「言ってねーよ!」
大観 「岡倉先生も 『逆に堂々とできるキッカケになるかも』 なんて返信しちゃって」
春草 「そんなわけねーだろ!」
大観 「『ありがとう怪文書!』『ミステリアスセンテンス!』」
春草 「もういいよ!そんなやり取りしてるわけねーだろ!
まぁ、でも、あんな怪文書が原因で、
岡倉先生が校長を辞めるなんて、僕らは納得いかないですからね」
大観 「それはそうですよ。そんな学校、こっちから願い下げですよ!」
春草 「なので、僕らも東京美術学校の教師を辞めました [7]」
大観 「僕ら以外にも何人か辞めたので、
そのメンバーを岡倉先生が集めて、新しい美術団体を作ったんですよ」
春草 「そうなんです」
大観 「それが、フェリス女学院」
春草 「日本美術院 [8] だよ!“院” しか合ってねーだろ!」
大観 「この日本美術院が主催する展覧会が、今現在も続いている院展ですからね」
春草 「そう考えると、長い歴史があるよね」
大観 「この院展に作品が出品されるかどうかっていうのが、画家のステータスなんですよ」
春草 「確かにね。毎年、自分が入選してるかどうか気になるよね」
大観 「だからね。院展の時期になると、画家仲間に会うたびに、こう聞くんですよ」
春草 「へぇ、何て聞くの?」
大観 「インテン入ってる?」
春草 「“インテル入ってる?” みたいに言ってんじゃねーよ!いい加減にしろ!」
2人 「どーもありがとうございました!」
[1] 菱田春草 (1874~1911)
明治期を代表する日本画家。横山大観や下村観山とともに、橋本雅邦門下の四天王と称される。
代表作は、重要文化財に指定されている 《落葉》。36歳という若さでこの世を去る。
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[2] 横山大観 (1868~1958)
言わずと知れた近代日本を代表する日本画家。富士山をモチーフにした作品を多く描く。その数は生涯で約3000点とも。
大のお酒好きで、人生の後半50年はご飯をほとんど口にしなかったそう。
なお、大観の脳はアルコール漬けにされた状態で、東京大学医学部に保管されているらしい。
[3] 横山大観 《月夜の波図》 1904年
当時の日本では朦朧体の作品は評価されなかったが、
西洋では評価され、アメリカでは日本の10~20倍の価格で売れたとのこと。
[4] 岡倉天心 (1863~1913)
思想家。美術教育家。美術運動家。
フェノロサの通訳として同行し、当時軽視されていた日本の古美術の価値を見出すことに一役買う。
東京美術学校の校長時代、自宅から学校まで馬で通っていた。
[5] 朦朧体の絵画は、「幽霊画」 ともディスられていた
[6] 俗にいう 「美術学校騒動」。「美校騒動」とも。明治31年のできごと。
[7] 菱田春草や横山大観の他に、橋本雅邦や下村観山も教師を辞職。
高村光雲や川端玉章らのように抗議はするものの辞職には至らなかった教師も多数いた。