日本で最初の建築運動とされる分離派建築会が結成されてから、今年で丸100年。
それを記念して、現在、パナソニック汐留美術館では、
“分離派建築会100年展 建築は芸術か?” が開催されています。
(注:館内の写真撮影は、特別に許可を得ております。)
明治時代。
ジョサイア・コンドルらお雇い外国人によって、西洋式の建築が日本に導入されます。
そして、彼らに学んだ辰野金吾や片山東熊らが、
日本銀行本店や迎賓館赤坂離宮といった建築を次々に完成させました。
こうして西洋式の建築がある程度、
日本に定着した明治末から大正時代にかけて、
「日本独自の建築とは何か?」 と考える機運が高まります。
その時に立ち上がったのが、山田守や堀口捨己ら東京帝国大学の卒業生6人。
分離派建築会創立時の集合写真 1920(大正9)年2月3日 写真協力:NTTファシリティーズ
彼らは、過去の建築の流れからの分離を宣言し、
「建築は芸術だ!」 と訴え、分離派建築会を立ち上げました。
なお、その後、蔵田周忠や山口文象ら、
3人の新メンバーが加わり、メンバーは総勢9人に。
今展では、そんな彼らが制作した設計図や模型、
さらには、実際に手掛けた建築の写真や資料が数多く紹介されています。
メンバーそれぞれ個性は違いますが、
彼らの建築の根底に通じているのは、造形的であること。
もちろん合理性を完全に無視しているわけではないですが、
見た目の美しさといった芸術的な面が大きなウェイトを占めています。
瀧澤眞弓 《山の家》模型 1921(大正10)年 再制作:1986年 瀧澤眞弓監修
堀口捨己 紫烟荘 1928(昭和3)年 『紫烟荘図集』(洪洋社)所収、東京都市大学図書館
今から約100年前の建築とは思えない斬新さ!
そして、ジブリさ! (←?)
会場で紹介されていた建築の大半が、
実際に存在していたものだというから、さらに驚かされます。
山田守 東京中央電信局竣工 1925(大正14)年 郵政博物館
何より残念だったのは、これらの建築の大半が、現存していないこと。
その理由は、戦争の影響であったり、老朽化であったり。
もし、分離派建築会の建築が東京に残っていたなら。
東京の風景は、きっと今と違ったものになっていたに違いない。
そんなもう一つの東京、パラレルワールドな世界を想像させる展覧会でした。
ちなみに。
個人的に一番印象に残っているのは、山田守が設計した聖橋です。
こちらは、今なお現存しています。
お茶の水を訪れる際、何度も目にしていますが、
これまで特に足を止めてまで、マジマジと眺めたことはありませんでした。
あぁ、橋が架かってるなァくらいなもので。
山田守は、親柱や欄干などの装飾要素を一切排除し、
巨大なコンクリートのマッス (塊) として聖橋を設計したのだそう。
さらに、よく見ると、パラボラ型と呼ばれるアーチが8つ連続していますが、
これはまったく機能性とは関係なく、ただただ見た目の美しさのために採用されたのだそうです。
そんなこだわりが詰まった橋だったとは!
確かに、昭和2年に誕生した橋と思って見てみると、なんとも斬新な印象を受けます。
今度、お茶の水を訪れる際は、意識的に眺めてみなくては。
なお。
7回にわたって、展覧会を開催してきた分離派建築会ですが。
昭和3年、結成から8年後に活動を終え、散会したそうです。
分離派の分離は、わりとあっけないものでした。
┃会期:10月10日(土)~12月15日(火)
┃会場:パナソニック汐留美術館
┃https://panasonic.co.jp/ls/museum/exhibition/20/201010/
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“分離派建築会100年展” の無料鑑賞券を、5組10名様にプレゼントいたします。
住所・氏名・電話番号を添えて、以下のメールフォームより応募くださいませ。
https://ws.formzu.net/fgen/S98375463/
なお、〆切は、10月31日です。当選は発送をもって代えさせていただきます。