2015年に堺市にオープンしたミュージアム、さかい利晶の杜に行ってきました!
堺市にあるので、「さかい」 なのはわかります。
しかし、「利晶」 とは一体何なのでしょうか??
そのヒントは、美術館の英名にあります。
Sakai Plaza of Rikyu and Akiko
実は、堺は、わび茶を大成した千利休が生まれ育った街であり、
『みだれ髪』 でお馴染みの与謝野晶子が生まれ育った街でもあるのだそう。
そんな堺にゆかりのある2人の偉人をフィーチャーしたミュージアム。
それが、さかい利晶の杜なのです。
メインとなる展示室は、2つ。
1つは、千利休と茶の湯について紹介する千利休茶の湯館。
名誉館長を務めるのは、利休居士第15代・茶道裏千家前家元の千玄室さんです。
そして、もう一つは与謝野晶子記念館。
こちらでは、与謝野晶子の生家である和菓子商 『駿河屋』 が再現されています。
ちなみに。
そんな千利休&与謝野晶子推しのミュージアムだけに。
トイレのマークも、千利休&与謝野晶子仕様になっていました。
茶人&歌人専用トイレではないので、
茶人と歌人以外の皆様も、どうぞご安心して利用くださいませ。
さてさて、そんなさかい利晶の杜には、
もう一つ、企画展が行われる展示室があります。
現在、そちらで開催されているのは、
“髙林和作-サバクに立つ画家の眼差し-” という展覧会。
こちらは、今年生誕120周年を迎える、
堺市出身の洋画家・髙林和作の20年以上ぶりとなる回顧展です。
(注:館内の写真撮影は、特別に許可を得ております。)
早稲田大学文学部英文学科を卒業後、
高校の英語教師をしていたという髙林和作。
《自画像》 1960年代前半 堺市博物館蔵
その間に、どうやら画家になりたい気持ちが芽生えたのだそう。
そこで、教師を辞め、昭和3年にフランスに渡り、
フォーヴィスムの流れを汲む画家オトン・フリエスと、
キュビスム後の写実主義を代表するアンリ・ド・ヴァロキエに師事したそうです。
それゆえ、やはり作風はフォーヴィズムを彷彿とさせるものがありました。
《港の春》 1965年 堺市博物館蔵
・・・・・・と思いきや、
モネやピサロを彷彿とさせる印象派風の作品もありました。
《水車小屋》 1948年頃 堺市博物館蔵
さらには、ゴッホを彷彿とさせるポスト印象派風の作品や、
ドニを彷彿とさせるナビ派風の作品もありました。
同じ場所、同じ構図を違う色合いで描いた、
こちらの2点の 《衣笠松林》 にいたっては・・・・・
ウォーホルを彷彿とさせるものがあります。
カメレオン俳優ならぬ、カメレオン洋画家。
とても一人の作家とは思えないほどでした。
“個性がない” という強烈な個性を持った洋画家です。
そうそう。個性と言えば、
京都の知恩院 (写真左) を描いた作品に関して、
髙林和作は次のような言葉を残しているそうです。
「大きく握んで朝のアトモスフェアを逃さぬことが最も肝要」
「薔薇色の空、それが全部を支配する上に
建築物の逆光の陰をウートル・メールにする描法をとるのが一番自然ではないかと思う」
自然と飛び出す横文字の数々。
さすがはフランス帰り。
『おそ松くん』 のイヤミみたいな喋り方。
こんな漫画のような喋り方をする人が、実在していたことに驚かされました。
最後に、余談ですが。
さかい利晶の杜のロッカーには、
トラップ (?) があるのでご注意くださいませ。
いつものように100円玉を入れようとしたところ・・・・・
100円ロッカーではなく、
なんと500円ロッカーでした。
レート高っ!!