現在、茨城県近代美術館では、
“ムーミン コミックス展” が開催されています。
(注:展示室内の写真撮影は、特別に許可を得ております。)
ここ数年、ムーミンの原画を紹介する展覧会は、何度か開催されてきましたが。
それらはすべて、ムーミンの小説や絵本の原画を紹介するものでした。
しかし、今回の展覧会で紹介されているのは、
新聞連載されていた漫画版のムーミンの原画です。
実は、ムーミンは、フィンランドではなく、イギリスの新聞紙、
『イブニング・ニューズ』 にて、20年以上にわたって漫画が連載されていたのだそう。
そんなコミックス版のムーミンは、
日本でも翻訳され、出版されているそうなのですが。
それは20年続いた連載のうちの一部に過ぎません。
それゆえ、日本ではあまりコミックス版のムーミンは浸透していませんが、
イギリスをはじめ、むしろ 「ムーミン=コミックス」 というイメージの方が強い国もあるのだそうです。
さてさて。
今展では、そんな貴重なムーミンコミックスの原画や、
設定イラストの数々がフィンランドから初来日しています!
ムーミンのイメージしかなかった僕が、
初めて小説版のムーミンの原画を目にした際には、
「こんなにも可愛くないのか!でも、逆にそれがいい!
生命力を感じる!」
と、カルチャーショックを受けたものです。
そんな小説版ムーミンの原画にもすっかり慣れた僕ですが。
今回初めて目にするコミックスの原画は、
小説版の原画とはまた違う味わいがありました。
やはりコミックスだけあって、フォルムや表情が、
コミカルに感じられるよう、デフォルメされている気がします。
悲しいかな。僕は英語がまったく読めないので (ほぼ和訳がなかったので)、
鑑賞中は、終始 “ちょっと何言ってるか分からない” 状態だったのですが (笑)
楽しげなことだけは、原画からちゃんと伝わってきました。
ちなみに。
今回の展覧会では、時系列順に、
ムーミンコミックスの原画が紹介されているのですが。
ある時を境に、人が変わったかのように、
キャラクターのタッチが変わってしまいます。
ムーミンの顔の輪郭なんて、
ワニワニパニックのワニみたくなってしまいました。
実は、人が変わったかのような、ではなく、
途中から、本当に作者が変わったのだそうです。
もともとの作者は、もちろんムーミンの生みの親トーベ・ヤンソン。
しかし、新聞連載を約5年続けたあたりで、
多忙を理由に、連載から降りてしまいました。
代わりにバトンを受け取ったのは、トーベの12歳下の弟ラルス・ヤンソン。
彼はその後15年近くにわたって、ムーミンコミックスの連載を続けたとのこと。
それゆえ、コミックスのムーミンのイメージが強い国では、
ムーミンの作者は、トーベでなくラルス・ヤンソンと認識しているそうです。
正直なところ、トーベの原画に慣れてしまっているので、
作者がラルスに変わってから、しばらくは違和感を覚えていましたが。
クリカンの声のルパン3世に徐々に慣れたように、
水田わさびの声のドラえもんに徐々に慣れたように。
徐々に、ラルス版のムーミンを受け入れられるようになっていきました。
なお。
ラルス版のムーミンコミックスの1コマ目は、
ほぼムーミンのお尻のアップから始まっていたのだとか。
アニメ版の 『ムーミン』 は、小説だけでなく、
トーベとラルスのムーミンコミックスも原作としていたとのこと。
もしかしたら、「ねぇムーミンこっち向いて」 という、
あの主題歌の歌詞はこれが由来だったのかもしれません。
さてさて、展覧会のラストでは、未邦訳のコミックス、
ラルス作の 「ムーミンたちの戦争と平和」 が全ページ公開されていました。
こちらは、武器商人となったムーミンパパのせいで、
2つの種族の間で戦争が勃発してしまいそうになるというお話です。
そのピンチを救うのは、なんとニョロニョロ。
そして、そのニョロニョロを操っていたのが、ムーミンママでした。
ムーミンママ最強説。
ちなみに。
コミックスではないですが、展覧会の見どころとして、
1950年にフィンランドのデパートのショーウインドーに飾られていた・・・・・
ムーミンと 「スノークのおじょうさん」 の人形も来日しています。
こちらは、写真撮影OK!
かつてトーベ・ヤンソンもこの人形と写真を撮影したそう。
70年経った今も、フォトスポットとして人気でした。
そうそう、人気と言えば。
ムーミン展のもう一つのお楽しみ、
グッズコーナーも、もちろん充実していました。
展覧会オリジナルグッズもいっぱい。
ムーミンファンらしき皆様は、
一切こっちを向くことなく、真剣にグッズに向き合っていました。