もしも、芸術家たちが漫才をしたら・・・
こんな感じのネタを披露するのかもしれません。
それでは、皆様、どうぞ芸術漫才をお楽しみください!
マルク 「ブルーナイツでございます。どうぞよろしくお願いいたします」
カンディンスキー 「僕らはもともと浅草新美術家協会で知り合いましてね」
マルク 「ミュンヘン [1] だよ!漫才協会じゃないんだから」
カンディンスキー 「ただ、数年経たないうちに、協会の内部で対立がありまして。
で、脱退した新たに作った芸術グループが、皆さんご存じ、世界の青騎士」
マルク 「『世界の青木』 みたいに言うなよ。普通に青騎士だから」
カンディンスキー 「この青騎士というグループ名は二人で決めたんですよ。
実は、2人とも青い色が好きだったんです」
マルク 「男らしい色ですからね [2] 」
カンディンスキー 「で、僕 [3] がね。騎士が好きだったんです」
マルク 「そうなんです」
カンディンスキー 「で、彼 [4] がですね。馬が好きだったんです」
マルク 「青い馬の絵をよく描いてるんですよ[5]」
カンディンスキー 「青と騎士と馬を合わせて、青騎士というわけなんです」
マルク 「馬どこ行ったんだよ!」
カンディンスキー 「まぁまぁ。その辺はゆるい感じで」
マルク 「確かに、僕らのグループはゆるい集まりですからね。
『青騎士』 って名前の芸術誌を年1回発行して、
その編集部主催で、なんとなくグループ展をして。
特に共通する画風があるわけではないですし」
カンディンスキー 「といっても、これまでにない芸術作品を生み出したい!
っていう熱い思いは、青騎士のメンバーは皆持ってますよね」
マルク 「まぁね。ただ、なかなか難しいことですけどね」
カンディンスキー 「それで、昨日、インターネットのヤホーでいろいろ調べてたんですよ」
マルク 「ヤフーね。うん。あれね、ヤフーって読むんだわ」
カンディンスキー 「さらに、検索をゴーグルでもかけてみまして」
マルク 「グーグルな!ゴーグルかけるって言ったら意味変わってくるから。
てか、僕らの時代には無かったものばかりだから、読み間違いするのも仕方ないのか」
カンディンスキー 「あと、トゥイッテー検索も」
マルク 「ツイッターだよ!どんだけインターネット使いこなしてんだよ」
カンディンスキー 「それから、クラブホセでも情報収集しまして」
マルク 「クラブハウスもやってんのかよ!」
カンディンスキー 「そしたら、画期的な芸術表現を発見してしまったんですよ」
マルク 「何ですか?」
カンディンスキー 「抽象画って知ってます?」
マルク 「今さらかよ!お前。今さら抽象画を見つけたの?ねぇ」
カンディンスキー 「抽象画のスゴさっていうのは、
これまでの絵画とは描いているものがまったく違うところにあるんです」
マルク 「はいはい」
カンディンスキー 「例えば、静物画ってありますよね?」
マルク 「リンゴやオレンジ描いたり、皿や壺を描いたりね」
カンディンスキー 「抽象画では、そういうモチーフは描かないんです。
描くのは、ランチメニューだけ」
マルク 「それは抽象画じゃなくて、昼食画だね?
いや、昼食画ってのもよくわからないけど」
カンディンスキー 「あと、人物画ってありますよね。
王様や貴族を描いたり、パトロンを描いたり。
抽象画ではこういうのも描きません」
マルク 「だから、そういう具体的なモチーフを描かないのが、抽象画なわけでしょ?」
カンディンスキー 「描くのは、長髪で黒いブリーフパンツを履いて、
活舌が悪くて、ときどき 『キレてないですよ』 っていう・・・」
マルク 「長州力ね。それは、長州画だから!
何でモチーフを描いちゃうんだよ!モチーフを描くのは、具象画なんだって」
カンディンスキー 「で、そんな抽象画について調べていたら、
とても興味深いことがわかったんですよ」
マルク 「というと?」
カンディンスキー 「なんと1911年前後に、3人の画家によって、
同時多発的に抽象画が発明されてたんですよ」
マルク 「あ、それは知らなかった」
カンディンスキー 「まず1人目の画家が、オランダ出身のモンゴリアン」
マルク 「モンドリアン [6] だよ!
オランダ人なのかモンゴル人なのかわかんないだろ」
カンディンスキー 「そして、2人目が現在でいうチェコ出身のブブカ」
マルク 「クプカ [7] ね!ブブカじゃ棒高跳びの選手か油そば屋だから」
カンディンスキー 「この2人はそれぞれピカソのサディズムに影響を受けまして」
マルク 「キュビズムだろ!サディズムに影響を受けたら、単なるMだろ。うん」
カンディンスキー 「で、もう一人。
1911年前後に抽象画を発明したのが、
何を隠そうこの僕、ドストエフスキーなんですね」
マルク 「カンディンスキーだよ。自分の名前間違えるってどうなってるんだよ」
カンディンスキー 「ある時、僕リトバルスキーが、
自分のアトリエに入った際にですね」
マルク 「それは助っ人Jリーガーだろ!リティにアトリエなんてないだろ」
カンディンスキー 「スゴく美しい絵を見つけたんですね。
そんな絵を描いた覚えがなかったんで、
“誰の絵だろう??” と思って近づいてみたら、
僕シベリアンハスキーが前に描いた絵が横倒しになってただけだったんですよ」
マルク 「今度は犬になっちゃったよ!
シベリアンハスキーが絵を描いたら、そっちのがスゴいだろ」
カンディンスキー 「この経験が一つのきっかけとなって、
モチーフのない絵画、つまり抽象画を研究するようになったんです。
それでいつしか僕、ノルディックスキーが、
“抽象画の父” と呼ばれるようになったんですね」
マルク 「もう生き物ですら無くなっちゃったよ!
ところで、カンディンスキーさん。
抽象画を初めて発表した時、皆さんはどんな反応だったんですか?」
カンディンスキー 「それはもう批判をたくさん浴びましたよ」
マルク 「あ、やっぱり大変だったんですね」
カンディンスキー 「まぁ、それも含めて中傷画ですから」
マルク 「漢字が違うだろ!いい加減にしろ」
2人 「どうもありがとうございましたー」
[1] 1909年に設立された、ミュンヘンを本拠地とする表現主義の芸術家グループ。カンディンスキーが初代理事を務めた。
[2] マルクにとって青は男性の精神性を表し、黄色は女性に対する好感、赤は暴力を表すものだったとか。
[3] ワシリー・カンディンスキー (1866~1944)
ロシア出身。ドイツおよびフランスで活躍した。
1度目の結婚中に、青騎士の画家ガブリレ・ミュンターと不倫している。
[4] フランツ・マルク (1880~1916)
ドイツ出身。動物を愛し、動物をよく描く。36歳という若さで戦死。
マルク曰く、「青という色は男性的。厳しく精神的な色だ。黄色は女性を現し、優しく陽気で官能的である」
[5] フランツ・マルク 《小さな青い馬》 1911年 シュトゥットガルト州美術館蔵
[6] ピート・モンドリアン (1872~1944)
オランダ出身。赤・青・黄の三原色のみを用いるというストイックな原則を貫いた作風で知られる。
[7] フランティセック・クプカ (1871~1957)
抽象画の創始者の一人。1994年に世田谷美術館、愛知県美術館、宮城県美術館で大々的な回顧展が開催されている。