現在、弥生美術館で開催されているのは、
“高畠華宵展―ジェンダーレスなまなざし―” という展覧会。
こちらは、大正から昭和にかけて活躍した挿絵画家・イラストレーターで、
弥生美術館コレクションの中核をなす高畠華宵 (かしょう) にスポットを当てた展覧会です。
「・・・・・・・・・・・高畠華宵って誰??」
そういう方もいらっしゃるでしょうから、
まずは、高畠華宵について簡単に紹介を。
こちらのちょっとトレンディエンジェルの斎藤さんに似ている人物こそが高畠華宵です。
現在でこそ一般的な知名度は今ひとつですが、
大正から昭和にかけては、特に当時のティーンに絶大な人気を誇っていました。
挿絵の原稿料で建てた鎌倉の自宅は、
「挿絵御殿」 と呼ばれ、近所の華族の家より立派だったそう。
そのセレブな生活ぶりはたびたび各雑誌で紹介され、
家出をしてまで華宵の自宅を訪れるファンもいたほどでした。
そんなカリスマイラストレーター・華宵が最も得意としたのは、
「少年の中には少女が、少女の中には少年がいる」 とも評された両性具有的な人物画。
今以上に、男は男らしく、女は女らしく、という風潮の中で、
華宵が描く人物は、まさにジェンダーレスな魅力を放っています。
なお、華宵本人もジェンダーレスな人物だったそうで、
性別としては男性でありながら、女性としての資質も兼ね備えていたそうです。
展覧会では、そんな華宵によるポエム 「いろいろな少女に」 が、
詩の一文に対応しそうな華宵の挿絵作品と併せて紹介されていました。
こちらは、もし、華宵自身が少女だったら、という仮定で書かれたポエム。
「明るいはなやかな少女も好きですし、
淋しい、しみじみとした少女も好きなのです。」
というように、ポエムでは、華宵好みの少女が次々に登場します。
「思い切って新しい、少女の夢も好きなら、
古びた、然しどこか品のある下町娘の趣も好かずにはいられません。」
「女学生も好きですが、町娘もすてがたい趣があります。」
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・。
いや、少女であれば何でもいいんかい!
とはいえ、このことがかえって、
少女になりたくてもなれなかった華宵の苦悩が表れているようです。
ちなみに。
今回出展されていた数多くの作品の中で、
特にジェンダーレスな魅力を放っていたのが、こちら。
昭和6年の 『日本少年』 の表紙です。
あえて両脇を全開にする水着の少年。
セックスアピールを放出中なのか。
それとも、男性ホルモンを受信中なのか。
なお、表紙の左下に、「本號を東郷元師閣下に捧ぐ」 とありますが、
いきなりこんなセクシーな表紙絵を捧げられたところで驚いたことでしょう。
ちなみに。
挿絵画家としては超一流だった華宵。
ジェンダーレスなタッチに限らず、
どんな挿絵でも自由自在に描くことができました。
主人公を魅力的に描くのはもちろん、
脇役でさえも、その性格を見事に表現しています。
それらの挿絵作品の中には、こんなものもありました。
どういうシーンなのか皆目見当もつきませんが。
毛深い怪物のようなものが、
家族らしき3人組に跪いています。
それだけでも充分にシュールな光景ですが、
よく見ると、窓の外にも怪しげな存在が見て取れます。
“志村~、後ろ!” 状態。
と、怪物ばかりに目が奪われがちですが、
よくよく見ると、少年 (?) のネクタイが微妙に短めです。
そして、ズボンの丈も。
6分丈?
どういうシーンなのか見当がつかないといえば、
こちらの 「恐ろしき一夜」 と題された 『日本少年』 の口絵も。
廃墟らしき場所に捉えられた少年。
その背後から、トランプのようなものが差し出されています。
スペードの2。
これは脱出のためのヒントなのでしょうか?
というか、よく見たら、トランプを差し出す腕が、
ターミネーターT800型の腕のようにも見えます。
ダダンダンダダン。
どういうシーンなのか見当がつかなかった挿絵が、もう一つ。
そのタイトルは、「納豆売りの少年」 となっていました。
納豆売りの少年の何の場面を描いたものなのでしょう。
タッチが劇画調なだけに、緊迫感もひとしお。
もしかしたら、街中にゾンビがはびこる世界なのかもしれません。
ちなみに。
今展は全面的に写真撮影が可能となっています。
また、8月11日と18日には、香りのワークショップも開催されます。
館内で出会ったお気に入りの華宵作品を写真にパチリ。
その作品をイメージする香りを作ってみようというものです。
美術作品を香りで表現するという、
ありそうでなかったタイプのワークショップ。
気になる方は、詳細はこちらに↓