大阪市立美術館で開催中の展覧会、
“揚州八怪” に滑り込みで行ってきました。
唐招提寺の鑑真の生まれ故郷として、
もしくは、中国ラーメンのチェーン店名として知られる中国の都市・揚州。
清朝18世紀の頃に特に経済的にも文化的にも栄え、
たくさんの芸術家が、この揚州の地で才能を開花させます。
その代表的なメンバーをひっくるめて、
のちの時代の批評家がこう呼んだのです。
揚州八怪と。
ちなみに、揚州八怪の 『怪』 とは、
「怪物」 や 「怪人」 のような 「怪しい」 という意味ではなく、
「怪傑」 や 「怪腕」 のような 「並外れた、規格外の」 という意味合いなのだそう。
また、『八』 とあるので、メンバーは8人かと思われがちですが、
批評家によって、ピックアップする8人の画家がバラバラであるため、
現状、揚州八怪に数えられている画家は全部で15人いるのだそうです (←ほぼ倍!)。
なお、今回の展覧会では、そのうちの12人の画家が紹介されています。
(本来であれば、15人全員紹介する予定でしたが、
コロナの影響で上海美術館の作品が来日できなかったそうです・・・。)
さてさて、そんな揚州八怪の面々の中には、
宮廷生活に馴染めず、退官した李鱓 (りぜん) や、
李鱓 《萱草石竹図軸》 清・18世紀 個人蔵
地方官の職を追われ、困窮に苦しんだ李方膺 (りほうよう)、
李方膺 《梅花図》 清・乾隆19年(1754) 京都国立博物館蔵
あるいは、秀才の誉れが高かったものの、
科挙に7回も落ちてしまった辺寿民 (へんじゅみん) のように、
中央政治からドロップアウトしたメンバーがちらほら見受けられます。
また、54歳の時に失明してしまった汪士慎 (おうししん) や、
汪士慎 《梅花図冊》 清・乾隆6年(1741) 大和文華館蔵 【前期展示】
関節リウマチのため、55歳の時に右手を使えなくなってしまった高鳳翰 (こうほうかん) のように、
高鳳翰 《山水花卉冊(蓮)》 清・雍正12年(1734) 大阪市立美術館蔵 【前期展示】
病気と闘いながら、制作に打ち込んだタイプのメンバーも。
『ザ・ノンフィクション』 のよう生き様が人の胸を打つ。
それが、揚州八怪です。
さて、高鳳翰に関しては、利き手の自由を失ってからの、
左手で描いた作品のほうが、高い評価を受けているのだとか。
東京国立博物館が所蔵する 《草書老樵詩》 は晩年近くに書かれた作品の一つです。
何が書かれているのかは、
正直なところ、よくわかりませんが。
ペース配分を間違えたであろうことは、
左下のゴチャゴチャってした部分から、なんとなく伝わってきます。
あと、よくよく見ると、ハンコの位置がバラバラ。
このうちのいくつかは試し押しなのでしょうか。
ちなみに。
中国の文人画家というと、世捨て人のような印象がありましたが。
ちゃんと絵や書を売り、それで生活していたのも、揚州八怪の大きな特徴なのだそう。
鄭燮 《臨岣嶁碑文軸》 清・乾隆29年(1764) 個人蔵
鄭燮 (ていしょう) なる人物は、自ら揮毫料の一覧表を作ったとのこと。
そこには、『大幅六両、中幅四両、小幅二両』 と記載されていたようです。
「どんな礼物食物も、すべて白銀の素晴らしさには及ばない」 や、
「支払いは現金がうれしい。うれしいから書画の出来もよくなる」 という言葉も残しているとか。
まさに、揚州商人ですね
さてさて、ここからは個人的に印象に残っている作品をいくつか。
まずは、華嵒 (かがん) の 《鵬挙図軸》 です。
華嵒 《鵬挙図軸》 清・18世紀 京都・泉屋博古館蔵 【後期展示】
この広い世界には僕の知らない鳥がいることは、重々承知していますが。
こんな飛び方をする鳥は、たぶん、いや、絶対いないでしょう。
横スクロールのシューティングゲームか。
続いては、金農の 《隷書六言詩横披》 です。
金農 《隷書六言詩横披》 清・乾隆27年(1762) 東京国立博物館蔵 Image: TNM Image Archives
2018年に甲子園で旋風を巻き起こした金農 (かなのう) ではなく、
漆書 (しっしょ) という独特な字体を生み出した清時代の書家・金農 (きんのう)。
一度観たら忘れられないくらいのインパクトある字体です。
漆書で書かれた 『易』 や 『家』 を、じーっと眺めていたら、
なんだか 「キャイーン!」 をしているように見えてきました。
最後に紹介したいのは、揚州八怪の作品ではないのですが、
揚州八怪に影響を受けた画家の一人、斉白石の 《紅蓮遊魚図》 という作品です。
斉白石 《紅蓮遊魚図》 20世紀 京都国立博物館蔵
その魚の描き方に、ご注目。
顔が体から飛び出しています。
魚というより、ケムンパスでやんす。