東京都美術館で開催中の展覧会、
“Walls & Bridges 世界にふれる、世界を生きる” に行ってきました。
こちらは、国籍もジャンルも性別も異なる上に、
接点も特にない5人のアーティストを紹介する展覧会です。
では、5人のアーティストがバラバラだったかといえば、そうではなく。
空気感といいますか、スタンスといいますか、
不思議と、どこか5人に共通するものはありました。
その組み合わせの妙が、今展の一番の見所と言えましょう。
会場に入ってまず紹介されていたのは、リトアニア出身で、
ナチスに故郷を追われたのちに、アメリカに亡命した映像作家ジョナス・メカスです。
命からがらアメリカにやってきたものの、
英語は喋れず、アイロンかけや鉛管工事などの職を転々としたメカス。
そんな貧困生活の中で借金してでも、
彼が購入したのが、「ボレックス」 という16mmの映画用カメラでした。
そのボレックスを使い、メカスは映画を撮るようになるのですが、
彼の映画にはシナリオはなく、身近な存在である家族や友人を映すのみ。
言ってしまえば、ただのホームビデオのようなのですが、
彼が撮影した映像には、確かに独特な輝きの “光” が捉えられているのです。
展覧会では、そんなメカスの映画作品はもちろんのこと、
メカスが自ら撮影したフィルムの一部をプリントした、
いわゆる 「静止した映画フィルム」 も展示されています。
たかがフィルム。されどフィルム。
初めて目にする場面のはずなのに、
どこか遠い昔に見たことがあるような。
記憶の奥底を心地よく刺激される不思議な鑑賞体験でした。
続いて紹介されていたのは、増山たづ子さん。
岐阜県の徳山村 (現・揖斐川町) に生まれ、
88歳でこの世を去った “カメラばあちゃん” です。
ある日、彼女が生まれ育ち住み続けた徳山村が、
徳山ダムの建設により、水没することが決まります。
そこで、増山さんは村と村民を記録するため、
還暦を過ぎてから写真の撮影に挑戦するのです。
亡くなるまでに撮影した写真は、実に10万カット以上 (!)。
会場にはそのほんのごく一部が展示されていました。
増山さんの没後、徳山村は本当に水没してしまったそう。
どの写真も何気ないのどかな村の光景ですが、
これらが今は存在していないと考えると、グッと込み上げてくるものがありました。
ドラえもんなんだか、ねずみ男なんだか、
よくわからないこの雪だるまですら、グッとくるものがあります。
3人目に紹介されていたのは、大分県で過ごした東勝吉さんです。
その生涯のほとんどを木こりとして過ごした東さん。
木こりを引退したのちは、老人ホーム生活に。
そして、83歳の時に初めて本格的に絵筆を採り、
99歳で亡くなるまで16年の間に、水彩画100余点を残しました。
独学ということもあって、その作風はまさに素朴派。
グランマ・モーゼスやアンドレ・ボ-シャンに通ずるものがあります。
でも、やっぱり一番近いのは、アンリ・ルソーでしょうか。
ルソーも馬車の絵を描いていますが、
東さんも同じく馬車の絵を描いていました。
そして、ルソーと同じく、縮尺がハチャメチャ。
人のサイズに対して、馬がとても大きいです。
マンモスよりも大きいのでは?
ちなみに、会場には東さんによる唯一の自画像も。
画面に対して、東さん大きめ。
zoomの画面みたいです。
さて、最後の吹き抜けのある展示室では、
2人の作家の作品が併せて展示されています。
1人は、シルヴィア・ミニオ=パルウエルロ・保田さん。
イタリア生まれで、のちに彫刻家の保田春彦さんと結婚。
夫を支え、家事と育児に専念しながら、
家族が寝静まった後に、ひっそり彫刻と絵画を制作していたそうです。
寝る間を惜しんで作られた作品は、まさに “敬虔” そのもの。
国籍こそ違いますが、彼女の作品を目にした瞬間、
「♪母さんが夜なべをして~」 というあのフレーズが脳内で再生されました。
作っていたのは手袋でなくて、絵画やブロンズですが。
そして、もう1人は、チェコ出身のズビニェク・セカル。
反ナチス運動に関わった結果、投獄され、
18歳から22歳まで強制収容所で過ごしました。
その後、グラフィックデザイナーや翻訳家として活動。
40歳を過ぎてからは彫刻家として不動の地位を築きました。
同じチェコ出身だったというカフカが好きだったというセカル。
翻訳家としてカフカの小説の翻訳も手掛けていたそうです。
それだけに、セカルが作る箱型の彫刻作品はどれも、
どこかカフカに通ずるような不条理さを醸し出していました。
作品によっては、ピタゴラスイッチ感も醸し出していました。