昨年3月、町田駅のほど近くに、
歴史ファン必見の美術館が開館していたそうです。
その名は、泰巖歴史美術館。
町田で不動産業を営む太陽グループの代表、
山中泰久さんが蒐集したコレクションを紹介する美術館です。
ちなみに、美術館名にある 「泰巖 (たいがん)」 とは、
織田信長の戒名 『総見院殿贈大相国一品泰巖尊儀』 の一部。
コレクションの中心となるのは、信長にまつわる古文書や茶道具とのことです。
町田市立国際版画美術館に、
町田市民文学館 ことばらんどに、と、
町田には年に数回ほど足を運んでいますが。
泰巖歴史美術館の存在にはまったく気が付きませんでした。
アートテラーとして大反省です。
ということで、町田駅へ。
駅から歩くこと5分ほど、目的地に到着しました。
あ、この建物だったんだ・・・。
何度もこの近くを歩いているので、
この建物の存在は知っていましたが。
その雰囲気から、立体駐車場だと思い込んでいました。
しかし、まぁ、壁面の亀甲紋といい、
見たことない柄の石材といい、床のタイルといい・・・・・。
なんと言いましょうか・・・・・大味というか・・・・・。
美術館ぽくないといいますか・・・・・場外馬券売り場っぽいといいましょうか・・・・・。
入るのに少し躊躇してしまうものがありました。
とはいえ、せっかく来たからには、中に入ってみなくては!
入館料の1500円を払って、展示室へと足を踏み入れました。
展示室は1階から5階までの5フロア。
まず1階と2階の展示室にはぶち抜きで、
信長が天正4年に築き、本能寺の変の後に焼失したあの安土城が、
ほぼ原寸大の大きさで再現されていました。
再現されていたのは、安土城の5層と6層部分。
日本初の本格的な天守も、ちゃんと再現されています。
また、その奥には、天瑞寺の障壁画 《松図》 を復元したものも。
天瑞寺は、豊臣秀吉が母である大政所の病気平癒を祈願して創建したお寺とのこと。
その室内を飾っていた 《松図》 は、狩野永徳によって描かれたと考えられているようです。
ちなみに、原画が紛失しているこの復元を制作したのは、
イベントで何度かご一緒した日本画家の鷹濱春奈さんでした。
意外なところで、知人の名前に出会ってビックリです。
さて、続いては3階へ。
こちらの展示室では、「信長の時代」 と題し、
信長自身や信長の家族や家臣、同時代の武将たちの書状や肖像画が紹介されていました。
個人的に一番印象に残っているのは、
信長が息子である信忠に宛てて書いた書状です。
どうやら宴会用の食材として、鶴が至急必要だったようで、
「鶴が足りないから、早く捕まえて殺して持ってこい」 と命じていました。
ホトトギスだけでなく、鶴も殺していたのですね。
また、家臣の佐久間信盛宛ての書状には、
「松永久秀親子が死んで気分が良い」 的なことが書かれていました。
裏垢で言うようなことを堂々と書状に書くのは、さすが信長ですね。
ちなみに。
こちらの展示室では、ミニ企画展として、
“戦国大名 武田氏三代” が開催されていました。
武田信玄が信長に宛てた書状をはじめ、
信玄の父・信虎、息子・勝頼にまつわる資料を紹介するものです。
基本的に展示品は書状ばかりですが、
川中島の戦いに関する書状などもあり、
歴史好きには胸アツな展覧会と言えましょう。
なお、美術館の4階では、甲冑や刀剣、火縄銃など合戦に使われた武具の数々が、
5階では、国宝の茶室・待庵の再現や、茶碗や茶杓といった茶道具の数々が展示されています。
こちらも見ごたえがありました。
最後に。
信長の肖像画に関してずっと気になっていた疑問が、個人的に解決したのでそのご報告を。
泰巖歴史美術館が所蔵するものもそうだったのですが。
肖像画に描かれた信長は、黒目が小さく、
全体的に茶色い色合いで描かれていることが多いのです。
展示室2階で、信長の生涯を紹介する約20分の動画を観ていた時のこと。
信長は特に鷹狩りが好きだったとのことで、
映像内で一瞬、鷹の目元のアップが登場しました。
その鷹の目が、まさに肖像画の信長の目と一緒だったのです。
鷹が好きすぎて、絵師に鷹の目に似せて描くように命じたのかも。