この秋、ミュゼ浜口陽三・ヤマサコレクションで開催されているのは、
“手のひらほどの小さな絵―パリ1930年代の浜口陽三―” という展覧会です。
(注:展示室内の写真撮影は、特別に許可を得ております。)
今から遡ること2年前。
ミュゼ浜口陽三・ヤマサコレクションでは、パリから一度帰国したのちに、
伊豆に2年ほど滞在していた頃の浜口陽三を紹介する展覧会が開催されました。
今回スポットが当てられているのは、その前のパリ時代の浜口陽三。
9年間滞在していたそうなのですが、
実はこれまで、その動向が良く分かっていなかったのだとか。
本人が詳細を多く語っていなかったこともあり、
まさに 「空白の9年間」 という感じだったそうです。
今展で紹介されているのは、
最近の研究、調査で判明したパリ時代の新事実の数々です。
「空白の9年間」 がついに明らかに!
浜口陽三ファン必見の展覧会です。
東京美術学校 (現・東京藝術大学) では、
彫刻科塑造部に入学するも、油彩画を描いていたという浜口。
結局、大学も2年で退学し、パリへの留学を決意します。
その渡仏直前に描かれたとされるのが、《風景》 という一枚。
どことなく、ルドンとか象徴主義っぽい印象を受ける作品です。
さて、その後、パリへと留学した浜口が、
油彩画をアンダパンダン展に出品していたということは、
本人の証言から判明していたそうですが。
出展されたカタログに、浜口陽三の名を見つけることは出来ませんでした。
この矛盾が、この度ついに解明されたそうです。
なんと渡仏後の浜口は、浜口陽三の名ではなく、
『ZOTI』 という名前で作品を発表していたのだとか。
なんそれ!
そんなZAZYみたいな名前で発表していた頃の作品が、
現物は消失しているため、パネルで紹介されていました。
一番左のヌード画はどことなく、モディリアーニ風。
真ん中の女性像はどことなく、パスキン風。
時代はすでに移り変わっていますが、
一昔前のエコール・ド・パリの影響を受けていたのかもしれません。
さて、続く地下の展示室で紹介されていたのは、
浜口陽三が現地の女性作家と行った2人展について。
↑こちらの写真にも写っている猫の鉛筆画や、
グワッシュで描かれた小品が初公開されています。
展覧会のタイトルにある通り、手のひらほどの小さな絵。
油彩の大型作品を描いていた時代から、
この作風になるまでに陽三に何があったのかは、
現段階ではまだわかってはいないそうです。
ただ、その間に、『ZOTI』 の名は捨てた模様。
『ZOTI』 は浜口陽三にとって、黒歴史だったのかもしれません。
だから、多くを語ろうとしなかったのかも。
しかし、そんな消し去りたい過去 (?) でも、
研究者の熱心な調査によって、いずれ明らかになってしまうのですね。
世の芸術家の皆様、どうぞご注意くださいませ (←?)。
また、展覧会では、若き日のパリ時代の作品だけでなく、
浜口陽三の代名詞ともいうべき、メゾチント作品も多く紹介されていました。
メゾチント作品のファンの方も、十分楽しめる展覧会となっています。
なお、「メゾチントって何?」 という方も、ご安心を。
会場の一角には、こんなコーナーが設けられています。
メゾチントの技法をただわかりやすく紹介するだけでなく。
実際に手に触れることができるメゾチントの原板も用意されています。
いかにメゾチントの原板が繊細なものなのか。
手で触れることで、それがよくわかります。
なお、この原版は現役メゾチント作家の山城有未さんが作成したもの。
この原版をもとにして擦りあげた作品がこちらです↓
ちなみに。
この原画を担当したのは、意外な人物。
ある意味、山城さんとのコラボ作品です。
・・・・・・嘘です。コラボなんておこがましいにもほどがあります。
絵心のない原画を、これほどのクオリティに仕上げたのは、さすが山城さんです。
最後に、美術館から頼まれた告知を。
絵心どころか、芸術的センスがもろもろ欠如している僕には不向きですが。
今回の展覧会にちなんで、10月16日に、
フラワーアーティストの今泉冴也香さんを講師に迎えたワークショップがあるそうです。
定員までまだ若干余裕はあるようなので、
気になる方は是非チェックしてみてくださいませ!