(注:展示室内の写真撮影は、特別に許可を得ております。)
今年2021年は、伝教大師こと最澄の1200年の大遠忌にあたる節目の年。
それを記念して、この秋、上野の東京国立博物館では、
“特別展「最澄と天台宗のすべて」” が開催されています。
展覧会の主役はもちろん、最澄その人。
教科書でお馴染みの最澄の肖像画や、
国宝 《聖徳太子及び天台高僧像 十幅のうち 最澄》 平安時代・11世紀 兵庫・一乗寺蔵
【展示期間:10月12日(火)~11月7日(日)(東京会場) 展示会場:東京、京都】
現存する唯一の最澄の直筆の書状を筆頭に、
国宝 最澄 《尺牘(久隔帖)》 平安時代・弘仁4年(813) 奈良国立博物館蔵
【展示期間:10月12日(火)~10月31日(日) 展示会場:東京】
最澄の彫像や最澄が自刻したと伝えられる仏像など、
最澄にまつわる貴重な品々が、会場には集結しています。
それらの中には、国宝ハンターとしては見逃せない (←?)、
「一隅を照らす、これ即ち国宝なり」 という有名な一文が登場する 《天台法華宗年分縁起》 も。
興味深い展示品が数多くありましたが、
個人的にもっとも興味を惹かれたのが、《伝教大師度縁案並僧綱牒》 です。
近江国分寺にいた僧侶が亡くなり、その欠員を補充するための試験を受けた最澄。
いうなれば、その合格証とでもいうべき古文書です。
何よりも興味深かったのは、「黒子 頸左一 左肘析上一」 という記載です。
ほくろが首の左側に1つ、左ひじの上の方に1つあるということ。
証明写真が無い時代、この身体的特徴で最澄本人だと証明したのだそうな。
・・・・・・・いやいやいや、顔立ちとか体型とか、他にもっと記載すべき身体的特徴があるような。
悪い人間が、墨か何かで首と左ひじにほくろを描いたら、簡単にすり変わられちゃうような。
奈良時代、ほくろに絶対的な信頼が置かれていた。
その事実に驚きを隠せませんでした。
さてさて、展覧会では他にも、
円仁や円珍ら、最澄の弟子たちにまつわる品々や、
全国に広まった天台宗ゆかりの至宝の数々が紹介されています。
上野での展覧会だけあって、寛永寺所蔵の貴重な品も数多く出展されていました。
実は、寛永寺は天台宗関東総本山の寺院。
あ、だから、東叡山 (東の比叡山) なのですね。
今さらながら、気が付きました (汗)。
ちなみに。
今展もこれまでの仏教美術展と同じく、
いや、もしかしたらそれ以上に、仏像が数多く展示されています。
重要文化財 《薬師如来坐像》 平安時代・12世紀 岐阜・願興寺(蟹薬師)蔵 【展示会場:東京】
最澄というと、穏やかなイメージなので、
天台宗に伝わる仏像もすべて、穏やかなのかと思いきや。
インパクトあるビジュアルを持つ仏像もちらほらありました。
中でもインパクトがあったのが、愛知の瀧山寺の 《十二神将立像》 です。
顔立ちのクセがスゴい。
アメリカのアニメのキャラクターみたいでした。
それから、ヘアスタイルも奇抜。
完全にスーパーサイヤ人でした。
そして、彼ら以上にインパクトがあったのが、
東京の深大寺に伝わる 《慈恵大師(良源)坐像》 です。
その高さは約2m。
日本最大の肖像彫刻です。
慈恵大師こと良源は、火災で甚大な被害を受けた延暦寺を復興した人物。
それゆえ、除災の力があると考えられ、
数多くの像が作られるようになったのだとか。
だからといって、何もこんなにデカく作らなくても・・・。
すぐそばの深大寺の国宝 《釈迦如来椅像》 が、若干ビビっているように見えます。