今年10月、渋谷区立松濤美術館が、
めでたく開館40周年を迎えました (←おめでとうございます!)。
それを記念して開催されているのが、“白井晟一入門” という展覧会。
渋谷区立松濤美術館の建物を設計した建築家、
白井晟一 (1905~1983) にスポットを当てた展覧会です。
展覧会は、2部に分かれており、
現在開催されているのはその第1部。
白井晟一の活動の全体像を紹介するものです。
展覧会HPには、「白井晟一入門編」 とあったので、
白井の代表的な建築をざっくりと紹介しているのかと思いきや。
会場では、白井の初期の建築から晩年、さらには実現に至らなかった建築まで、
図面や建築模型、資料、写真、実際に使われていた部材などが、これでもかと紹介されていました。
(注:展示室内の写真撮影は、特別に許可を得ております。)
また、若かりし頃の白井にまつわる貴重な品や、
左)《青年期、留学時代の写真》 1920~30年代 右)《ドイツ留学時代の白井晟一》 1928~32年頃 ともに白井晟一研究所蔵
白井の義理の兄にあたる画家・近藤浩一路の絵画も。
近藤浩一路 《凌(中秋)》 1936年 山梨県立美術館蔵
さらには、白井が55歳から本格的に始めたという書や、
デザイナーとしての顔も持ち合わせた白井が手掛けた装丁デザインも紹介されていました。
ちなみに。
一度目にしたら頭から離れない、
あのインパクト強の中央公論社のシンボルマークをデザインしたのも白井晟一。
展覧会には、その貴重な原画も展示されています。
とにもかくにも、展示数がボリューミー!
それにくわえて、今展のために、現存する白井建築を日本全国巡って調査したという、
学芸員さんの気合いの入りようから、章解説や展示解説の文字数もボリューミーでした。
入門編と謳いながらも、その実体は 「白井晟一超完全版」。
コメダ珈琲ばりの “逆詐欺” (?) 展覧会でした。
さて、白井晟一は、異色の建築家として知られています。
ドイツ留学時は建築ではなく、哲学を学び、
一級建築士の資格を持たぬまま、その生涯を終えました。
そんな彼が建築家としての道を歩み出したきっかけが、今展で明らかになっています!
それは、義兄の近藤浩一路一家が自宅兼アトリエを建てた際のこと。
他の建築家に設計を委託していたものの、気づいたらいつの間にか、
その家に同居する予定だった白井が、実質的に取り仕切っていたのだそうです。
なんともフワッとした建築家デビューだったようです。
建築家としてのスタンスも、異彩を放っていましたが、
同様に、いや、それ以上に白井が手掛けた建築も異彩を放っています。
2004年に解体された親和銀行東京支店も、
飯倉交差点の一角に今なお聳え立つノアビルも、
大きく異彩を放っていますが。
それ以上に異彩を放っていたのが、白井晟一の初期の自邸です。
外壁も内壁も、下地の荒壁のまま。
表札はなく、壁に直接 「白井」 と書かれています。
何よりも衝撃的だったのが、この自宅にはトイレが無いということ。
家族全員おまるで用を足していたのだとか。
ちなみに、建物に付けられた名前は、『滴々居(てきてききょ)』。
雨漏りすることが、その由来だそうです。
ちなみに。
当時、この滴々居のことが、一部の人には有名だったため、
“白井に住宅の設計を頼むと、トイレを作ってもらえないのでは・・・?”
と、不安になる人もいたとか、いなかったとか。
施主にそんな不安を抱かせるだなんて、さすがは異色の建築家。