現在、東京都現代美術館では、
“Viva Video! 久保田成子展” が開催されています。
こちらは、知る人ぞ知るヴィデオ・アーティスト、
久保田成子 (しげこ) の没後初、日本では約30年ぶりの大規模な展覧会です。
もともとは、彫塑科出身だったという久保田成子。
20代半ばで、オノ・ヨーコさんや篠原有司男さんら、
当時気鋭の芸術家が作品を発表した内科画廊で個展を開催する機会に恵まれます。
そこで彼女が発表したのは、ラブレターに見立てた紙くずで部屋を埋め尽くし、
それをシーツで覆い尽くして山のようにした上に彫刻作品を展示するというもの。
今でいう、インスタレーションのような作品でしたが、
前衛的すぎたのか、観客や批評家の反応はイマイチ。
それにショックを受け、単身ニューヨークへと渡ります。
そこで彼女が出逢ったのが、フルクサスのメンバー。
フルクサスとは、1960年代にジョージ・マチューナスの呼びかけで集まった美術グループで、
アーティストに限定せず、作曲家やデザイナー、建築家、詩人など様々なメンバーが属しています。
そのメンバーの中には、ハイ・レッド・センターやオノ・ヨーコさんも。
ちなみに、フルクサス時代に久保田成子が発表した伝説のパフォーマンスが、こちら↓
(注:なかなか衝撃的な絵面なので、接写を自粛しています)
《ヴァギナ・ペインティング》 です。
女性器に装着した筆でペインティングをするパフォーマンスです。
やってることは、ほぼワハハ本舗。
アートテラーを長いことやっていますが、
このパフォーマンスの様子を収めた写真を見て、
「・・・・・アートってなんだろう??」 と、久しぶりに真剣に悩んでしまいました。
その後、のちに “ヴィデオ・アートの父” と呼ばれるようになる、
韓国人現代美術家ナム・ジュン・パイクと結婚すると、自身もヴィデオを用いた作品に着手するように。
この当時、同時多発的に女性作家がヴィデオ作品を発表し始めたそうで、
同世代の女性作家たちと積極的に協働し、ヴィデオ作品を発表していきます。
こちらの 《ブロークン・ダイアリー:私のお父さん》 はその頃に発表された作品の一つ。
なんでも、久保田が実の父を亡くした際、
交流のあった女性映画監督シャーリー・クラークに泣きながら電話したところ、
「自分が泣いているところをヴィデオに撮ったら?」 と提案されたのだそうです。
提案するほうもするほうですが、提案に乗るほうも乗るほう。
やはりアーティストというのは、ネジが壊れています (←褒め言葉です!)。
さてさて、こうしたヴィデオ作品を制作し続けていくうちに次第に、
彼女は自分を含め、多くのヴィデオ作家がヴィデオの内容、つまりソフト面ばかりを重視し、
作品そのものも造形性、すなわちハード面に関心を払っていないことに不満を抱くようになります。
こうして誕生したのが、彼女の代名詞というべき 「ヴィデオ彫刻」。
立体作品として成立しているヴィデオ・アートです。
特に彼女はマルセル・デュシャンの作品にインスピレーションを受けており、
「デュシャンピアナ」 と名付けたシリーズ作品を1975年から90年にかけて発表しています。
こちらの 《デュシャンピアナ:マルセル・デュシャンの墓》 もそのうちの一つ。
合板で組み立てられた筐体の中に、11台のモニターが仕込まれています。
また、上部と下部にそれぞれ鏡が設置されており、
覗き込むと (or見上げると)、無限のモニターがあるように見える作品です。
多くのヴィデオ作家が、映像の内容で勝負をしている中、
映像を見せるフォーットにいち早く焦点を当てた久保田成子。
時代を先読みする力が半場ありません。
そんなことをより強く感じさせられたのが、《河》 という作品。
ステンレス製小舟のような形をしたオブジェの内部に水が張られており、
白いローラーのような波発生器が絶えず波を作り、水面を揺らがせ続けます。
その水面に、上から吊るされたモニターの画面を映し出すという作品です。
今でこそプロジェクターがありますが、この時代にはまだプロジェクターがありません。
モニターをプロジェクターの代わりにしようだなんて。
まさにコロンブスの卵のような発想です。
時代が時代なら、チームラボのような存在になっていたかもしれない久保田成子。
なぜ、今ではすっかり忘れ去られてしまったのでしょうか。
その大きな要因の一つが、1996年にパイクが脳梗塞により半身不随となってしまったこと。
夫の介護のために、彼女自身の制作活動は中断を余儀なくされてしまったのだそうです。
“ヴィデオ・アートの父” の陰に、“ヴィデオ・アートの母” あり。
この展覧会を機に、久保田成子が正当に評価されますように。
ちなみに。
展覧会では作品とともに、多数の資料も紹介されています。
それらの中に、50歳前後の久保田成子と、夫であるパイクの2ショット写真もありました。
アーティストというよりは、八百屋のご夫妻。
人は見かけによりませんね。