東京都現代美術館で開催中の展覧会、
“吉阪隆正展 ひげから地球へ、パノラみる” に行ってきました。
(注:展示室内の写真撮影は、特別に許可を得ております。)
近代建築の巨匠ル・コルビュジエの弟子の一人で、
戦後の日本建築界を牽引した建築家・吉阪隆正 (1917~1980)。
その大々的な回顧展です。
まず、展覧会の冒頭で紹介されていたのは、
常に地球規模で考えていたという吉阪の思考の一端と・・・
そして、63年という激動の人生を紹介する年表と資料もろもろです。
とても一人の人間に関するものとは思えないほど、
情報量 (特にテキスト) が、あまりにも膨大でした (汗)
頭の中の容量に空きを作った上で、
展覧会に行かれることをオススメいたします。
吉阪隆正がどういう人間だったのか、
たっぷりと紹介された後は、いよいよ彼の作った建築の数々が登場。
まず紹介されていたのは、新宿区百人町にあった吉阪の自邸です。
1955年に完成したこちらの建物は、
日本で初めての人工土地を持つコンクリート住宅とのこと。
模型を観るに、土地の上にそのまま住宅を建てるのではなく、
コンクリートの地盤を作り、その上に住宅が建てられているのがわかります。
なお、壁面に展示されていたのは、その1分の1サイズの立面図。
思わず、「お前ん家、天井低くない?」 と、
往年のふかわりょうの一言ネタが頭をよぎりました。
会場では他にも、吉阪隆正が手掛けた建築の模型や図面が勢ぞろい。
逆V字形の柱が特徴的で、1階部分を大胆に浮かせた江津市庁舎や、
独自の造形センスとカラーセンスが際立つアテネ・フランセ、
文部大臣芸術選奨を受賞したヴェネチア・ビエンナーレ日本館など、
代表的な建築の数々も網羅されています。
それらの中には、吉阪の代表作中の代表作、
もちろん大学セミナーハウスの巨大な模型も。
ちなみに。
建築家としての顔以外にも、
思想家、教育者、研究者など多彩な顔を持っていた吉阪。
実は、アフリカ横断1万キロやキリマンジャロ登頂を達成したり、
早大アラスカ・マッキンリー遠征隊長を務めるなど、登山家・冒険家としても活躍していました。
その縁もあり、山小屋やホテルなどの山岳建築も多く手がけています。
そんな人物が設計したからでしょう。
こちらは、普通の人の邸宅なのですが・・・
上下への移動手段が、
SASUKEのコースみたいになっていました。
これに比べたら、『劇的ビフォーアフター』 で、
よく登場するおばあちゃんを苦しめる急階段が、
そんなに大した障害ではないように思えてきました (笑)
ちなみに。
展覧会のラストでは、吉阪が1960年代後半から、
亡くなる1980年までに行った都市や地域計画に関する研究が紹介されています。
一つ一つじっくり読むと、どれも興味深いのですが、
じっくり読み込なまいと、頭に入ってこないので、かなりのカロリーを消費します。
すべてを読み終わった時には、
キリマンジャロ登頂したくらいの充足感がありました。
ちなみに。
吉阪隆正は本当に頭が良い人物だったのでしょう。
彼の思想をわかりやすく伝えるため、
時おり、図にしてくれてはいるのですが。
むしろ、図にされたほうが、
凡人の僕にはよくわかりませんでした、、、