2021年、惜しまれつつ、107歳でこの世を去った美術家・篠田桃紅。
その没後1年となる回顧展 “篠田桃紅展” が、
東京オペラシティ アートギャラリーで開催されています。
幼少より書に親しみ、20代後半で、
銀座鳩居堂で初めて書の個展を開催するも、
「根なし草」「才気だけの基礎のない書」と酷評されたという篠田桃紅。
(注:館内の写真撮影は、特別に許可を頂いております。)
初期こそは、まだ辛うじて (?)、
文字であることが認識できる書の作品ですが、
次第に、文字に囚われない抽象的な作品にシフトしていきます。
ちなみに。
こちらの作品のタイトルは、《薔薇》 とのこと。
決して、「薔薇」 という漢字が思い出せなくて、
雰囲気でごまかしたというわけではありません。
「薔薇」 という文字に捉われず、抽象的に描いたものなのでしょう。
さてさて、彼女が抽象表現に目覚めたその頃、
欧米の美術界では抽象絵画が注目を集めていました。
日本人から観れば、文字が書かれた書も、
漢字や仮名が読めない欧米人からすれば、抽象的な絵画のようなもの。
それゆえ、そのムーブメントの中で、
日本の前衛的な書にも注目が集まっていました。
そこで桃紅は、本場の抽象絵画にじかに触れるべく、1956年にアメリカに単身渡米。
約2年にわたりニューヨークを拠点に活動し、
全米各地およびパリでも個展を開催しました。
そんな武者修行の日々の結果、
それまでの書の作品には見られなかった、
骨太の線や面で構成された抽象表現に辿り着きます。
『桃』 に 『紅』 という可憐な名前からは想像できないマッチョな作風。
建築的といいましょうか、構造的といいましょうか。
ただ、ダイナミックでパワフルではあるのですが、
同時代に活躍した他の抽象作家の作品とは違って、
こちら側 (鑑賞者側) にグワッと向かってくるような圧は感じません。
むしろその逆で、画面の奥へ奥へと染み入っていくような感覚を覚えます。
これはおそらく、墨で描かれているからなのでしょう。
なお、展覧会のラストでは、
晩年近くの書の作品も紹介されていました。
抽象表現を経た上での彼女の書は、
まるで一文字一文字が研ぎ澄まされているかのようで、
触れれば切れそうな印象を受けました。
武道の達人から発せられる張り詰めたオーラのような。
まとまった作品群、それも大型の作品群を目にして、
改めて、これほどの美術家が日本にいたことに驚かされました。
高齢だから、女性だから、ということは抜きにして。
篠田桃紅を知っていた方も、知らなかった方も、
この展覧会を通して、新たな魅力に気づかされるはずです。
ちなみに。
最後の最後に、めちゃどうでもいいですが。
画面中央の作品を目にしてから、
どこかで目にしたことがあるんだよなァ、
と、デジャヴを感じてモヤモヤしていました。
しばらくして、その正体がトミー ヒルフィガーであることに思い至りました。
個人的にはスッキリです。