現在、根津美術館で開催されているのは、
“阿弥陀如来 浄土への憧れ”という展覧会です。
(注:展示室内の写真撮影は、特別に許可を得ております。)
釈迦如来に、薬師如来、大日如来と、
仏教界には、さまざまな如来がいますが。
中でももっともポピュラーなのは間違いなく、
「阿弥陀さま」こと阿弥陀如来ではないでしょうか。
展覧会の会場では、そんな阿弥陀如来に関する、
根津美術館の収蔵品の数々が一挙蔵出しされています。
阿弥陀如来が描かれた仏画もあれば、
《阿弥陀三尊来迎図》 絹本着色 日本・鎌倉時代 14世紀 根津美術館蔵
阿弥陀如来の姿を現した仏像、
《阿弥陀如来立像》 木造彩色 日本・鎌倉時代 13世紀 根津美術館蔵
「南無阿弥陀仏」でお馴染みのお経も紹介されていました。
《称賛浄土仏摂受経》 紙本墨書 日本・奈良時代 8世紀 植村和堂氏寄贈 根津美術館蔵
さらには、日本国内だけでなく、
朝鮮、高麗で描かれた阿弥陀如来も。
重要文化財 《阿弥陀如来像》 絹本着色 朝鮮・高麗時代 大徳10年・忠烈王32年(1306) 根津美術館蔵
ちなみに。
こちらの《阿弥陀如来像》は重要文化財。
鮮やかな朱に緑の衣というコントラストに目がいきがちですが、
何といっても一番の魅力は、金泥が多用された精緻な文様でしょう。
当時の高麗の宮廷画壇のレベルの高さを示す名品として名高い逸品です。
ところで、なぜ、数ある如来の中で、
阿弥陀如来が頭一つ抜けて、ビジュアル化されるほど人気なのでしょうか。
そのヒントは、頭一つどころか山を越えるほど大きなこの仏画にありそうです。
《山越阿弥陀図》 絹本着色 日本・南北朝時代 14世紀 栃木・現聲寺蔵
こちらは、《山越阿弥陀図》。
いままさに臨終しようとする信仰者のもとに、
阿弥陀如来が西方の極楽浄土から迎えに来た場面を描いたものです。
なお、画像ではよくわからないでしょうが、
この阿弥陀様の指先には小さなが穴が空いています。
これは、実際に死を目前に控えた人物の指と、
阿弥陀如来の指を糸で結んだ痕跡なのだとか。
今のような病院施設が無く、自宅で最期を迎える人が多かったこの時代。
そのまさかの時に備えて、一家に一阿弥陀如来が備えられていたのでしょう。
でも、もし家に阿弥陀如来が無かったら。
おじいちゃんがそろそろ危ないと思った際に、
こっそり絵師に阿弥陀如来の絵を発注していたはず。
自分のあずかり知らないところで、
家族がひそかに阿弥陀如来の絵を用意していた。
それをおじいちゃんが知った日には、
嬉しいやら悲しいやら、とっても複雑な感情になっていたことでしょう。
さてさて、ここからは出展作品の中で、
特に印象的だったものをいくつかご紹介。
まずは、高麗で描かれた阿弥陀如来から。
《阿弥陀如来像》 絹本着色 朝鮮・高麗時代 14世紀 根津美術館蔵
その足元にご注目くださいませ。
日本では大きな蓮の花の上に乗って、
仏さまが立っているのが一般的ですが。
高麗時代の仏さまは、右足と左足をそれぞれ、
小さな蓮に乗せて、絶妙のバランスで立っていました。
ということは、日本の阿弥陀如来よりも、
高麗時代の阿弥陀如来のほうが体幹が鍛えられているはず。
どうりで、日本の仏さまのほうは全体的にお腹がぽっこりしているわけです。
続いて紹介したいのは、《善導大師像》。
《善導大師像》 絹本着色 日本・室町時代 15世紀 根津美術館蔵
善導大師は、中国唐時代の僧で、
生涯に阿弥陀経を10万巻書写したことでも知られています。
その口元を見ると、何やら小さな人がエクトプラズムのように飛び出ていますね。
これは、唱えたお経が仏になったという、
誰かさんによく似たエピソードをビジュアル化したもの。
あと、よく見ると、下半身が金ピカなのですが、
これは法然上人が夢で善導大師と対面した際、
その下半身が金ピカだったという伝承に基づいているのだとか。
なぜ、下半身だけ・・・??
最後に紹介したいのは、《兜率天曼荼羅》。
《兜率天曼荼羅》 絹本着色 日本・南北朝時代 14世紀 根津美術館
緑色を基調としたなかなかに珍しい曼荼羅だそうです。
緑色の地面に濃い紺色の空。
どことなく初期のファミコンの画面を連想させるものがあります。
耳をすませば、ピコピコ音が聞こえてくるかのよう。
ちなみに。
ちょっと気になったのが、光線の表現に関して。
基本的には、「ピキーン!」と直線で放たれているのですが、
建物の上部を通り抜ける光線は、「プワ~ン」となっていました。
いや、どういう仕組みなん??