現在、アーティゾン美術館で開催されているのは、
“生誕140年 ふたつの旅 青木繁×坂本繁二郎”という展覧会です。
28歳という若さで夭折した早熟の天才・青木繁。
身近な自然やモチーフを題材に、
87歳で亡くなるまで黙々と制作を続けた坂本繁二郎。
日本洋画界に名を残すこの対称的な2人は、
実は、ともに1982年生まれ、ともに現在の福岡県久留米市生まれ。
しかも、同じ高等小学校で学び、同じ洋画塾で画家を志した仲でもあります。
それぞれにスポットを当てた展覧会は、
これまで幾度となく開催されてきましたが。
意外や意外にも、この2人による二人展は、
1956年以来一度も開催されたことがなかったそうです。
つまり、実に66年ぶりの二人展ということになります。
そんなスペシャルな機会だけに、
青木繁と坂本繁二郎それぞれの代表作が、
日本各地からアーティゾン美術館に大集結!
重要文化財にも指定されている青木繫の傑作《海の幸》や、
「馬の画家」とも呼ばれた坂本繁二郎による馬の名画といった、
2人の代表作はもちろんのこと。
これまであまり公開される機会のなかった、
貴重な個人蔵作品の数々も紹介されていました。
ところで、気になるのは、逆に、
なぜこれまでこの2人展が開催されなかったのかということ。
共通点の多い2人。
もちろん、手紙のやり取りなど、
接点や交流も多々あったようです。
では、一体何が原因なのでしょう?
青木繫と坂本繁二郎に詳しい学芸員さんが言うには、
おそらく、2人の作風が違いすぎるのが原因ではないかとのこと。
2人の作品を並べても、そこまでしっくりこないとのことでした。
なるほど。そういう理由があったのですね。
とはいえ、今展のラストに坂本の絶筆《幽光》(1969年)と、
青木繁最後の作品《朝日(絶筆)》(1910年)が並べて展示されていましたが。
めちゃめちゃしっくりきていました。
坂本繁二郎が最後の最後で、
青木の絶筆を意識したのか、はたまたただの偶然か。
真相は闇の中、波の中ですが、
展覧会のラストで、綺麗に伏線が回収された感がありました。
また、伏線回収といえば、
今展の隠れた目玉作品においても。
こちらは、アーティゾン美術館が近年収蔵した、
青木が伎楽や舞楽などの仮面を写したスケッチ。
通称、《仮面スケッチ》です。
東京美術学校時代の青木が、
東京帝室博物館(現東京国立博物館)に通ってスケッチしたもので、
このようにまとめて展示されるのは、実に約40年ぶりとなるそうです。
神話に強い関心を抱いていた青木繫。
《仮面スケッチ》の存在は、その片鱗を感じさせるものがありました。
さて、展覧会の中盤からは、
青木が亡くなった後の坂本の画業がメインに紹介されます。
馬や身近なモチーフを繰り返し描いていた坂本。
しかし、ある時を境に、急に能面を多く描くようになります。
おそらく、いや、間違いなく、
坂本は《青木スケッチ》を意識していますね。
《青木スケッチ》の伏線回収。
2人の友情、2人の絆のようなものが感じられて、思わずグッときました。
気のせいか、能面がちょっと微笑んだような気さえしました。