ミネアポリスを拠点に活動を続ける、
現代アメリカを代表する写真家アレック・ソス。
その日本の美術館での初個展、
現在、神奈川県立近代美術館 葉山館で開催されています。
出展数は、約80点。
アレック・ソスの代表作から最新作まで、
アメリカを題材とする5つのシリーズで構成された展覧会です。
それぞれのシリーズに合わせて、
プリントの大きさや額縁の素材、壁の色が変えてあります。
これらはソスの指示によるものとのこと。
シリーズごとに展示の雰囲気が変わるため、
展覧会を観終わった後の率直な感想としては、
1つの展覧会を観た、というよりも、5つの写真集を眺めたような。
それぞれの世界に没入したかのような印象を受けました。
さてさて、展覧会の冒頭で紹介されていたのは、
ソスの出世作ともいうべき「Sleeping by Mississippi」シリーズ。
ミシシッピ川沿いに旅をして、
人物や風景を撮影したシリーズです。
とは言うものの、ミシシッピ川そのものは、ほとんど登場しません。
ソス曰く、「読者自身のミシシッピを想像して欲しかったから」とのこと。
残念ながら、アメリカを訪れた経験がないため、
僕自身のミシシッピなるものが僕の中に存在しておらず、
ソスが期待したような想像は出来ませんでしたが。
どの写真を見ても、何かしらのストーリーは想像(妄想?)できました。
一見すると、ただのスナップショットのようなのですが、
ソスの写真を目にすると、彼の哲学やメッセージといったものが、
その中に閉じ込められていることが不思議と感じ取れるのです。
(実際に何が閉じ込められているかはわかりませんが)
観光地でもあり自殺の名所でもあるナイアガラ滝。
そんなナイアガラの滝を舞台に撮影されたのが「NIAGARA」シリーズ。
このシリーズもミシシッピ同様、
滝そのものは、やはりほとんど登場しません。
「Sleeping by Mississippi」シリーズと同じく、
どの写真も意味深で、想像力が掻き立てられましたが。
もっとも想像力(妄想力?)を掻き立てられたのが、こちらの《レベッカ》という1枚です。
赤ちゃんを抱きかかえて、
女性が怪訝そうな表情を浮かべています。
まるで、地球が終るパニック系ムービーのワンシーンのよう。
それも、開始冒頭のシーンのようです。
UFOが襲来するのか、隕石が衝突するのか、
はたまた、未来からターミネーターがやってきたのか。
彼女がその最初の目撃者なのでしょう。
で、小さく「オーマイガー」と呟くのでしょう。
「Sleeping by Mississippi」や「NIAGARA」は、
どこかロードムービーを彷彿とさせるところがありますが。
対して、「Broken Manual」シリーズは、
ドキュメンタリー映画を彷彿とさせるものがあります。
こちらは、社会を離れ、荒野や洞窟といった場所で、
生活をしている人々をソスが取材したプロジェクトです。
こちらのシリーズでは、カラーだけでなく、
カラーで撮影したものをあえてモノクロ変換した写真も含まれています。
また、
UTのデザインにも採用された写真も含まれていました。
一部の展覧会を除いて、
写真撮影が可能な今展覧会。
UTを通じて、この写真を知っている人も少なくなく、
この写真がちょっとしたフォトスポットになっているようです。
さて、展覧会のラストで紹介されていたのは、
最新のシリーズとなるる「A Pound of Pictures」。
写真家が撮影した作品としての写真ではなく、
街のカメラマンや素人が撮った何の変哲もない写真を、
写真用語で、「ヴァナキュラー写真」と呼ぶそうです。
そんなヴァナキュラー写真を収集しているソスが、
ある日購入する際に、1ポンドいくらで量り売りされ、衝撃を受けたそう。
内容ではなく、単純に物量として販売された写真。
それに出会ったことで、写真について改めて考えるプロジェクトとなったそうです。
興味深かったのは、ソスの写真に混じって、
ソスが所有するヴァナキュラー写真も展示されていたこと。
もちろんそれらと比べると、ソスの写真のほうが、
圧倒的に作品としてのクオリティは高いのですが。
じゃあ、そのクオリティの差は、どこから生まれるものなのか?
そもそも、本当に差があるのか?
と改めて考えてみると、簡単には答えが出せそうにありません。
写真の奥深さを知る一方で、
芸術としての写真の難しさも突きつけられる。
そんな展覧会でした。
最後に、「A Pound of Pictures」の中から、
個人的にもっとも印象に残った写真をご紹介いたしましょう。
電話のコードに絡まったペンが、
気になって気になって仕方がありません!
あと、左下に目をやると、ここにもコードの一部が映っています。
ということは、めちゃくちゃ長いコードなのかも。
どこに繋がってんねん。