今年2022年は、陶芸家として初の文化勲章を受章した、
近代日本を代表する陶芸家・板谷波山の生誕150年の節目の年。
それを記念して、現在、泉屋博古館東京では、
“生誕150年記念 板谷波山の陶芸―近代陶芸の巨匠、その麗しき作品と生涯”が開催されています。
板谷波山の生まれ故郷である下館(現・筑西市)に伝わる作品を中心に、
東京国立近代美術館やMOA美術館など、日本各地から優品の数々が集結しています。
(注:記事に使用している画像は、泉屋博古館東京より特別に提供いただいたものです。)
それらの中には、波山の最大作として知られる、
高さ約80cmを誇る大花瓶《彩磁蕗葉文大花瓶》や、
《彩磁蕗葉文大花瓶》 1911(明治44)年頃 廣澤美術館蔵
アール・ヌーヴォーを意識した意欲作《彩磁金魚文花瓶》、
《彩磁金魚文花瓶》 1911(明治44)年頃 筑西市(神林コレクション)蔵
大正後期より本格的に作陶に取り組んだ《天目茶碗》も。
《天目茶碗》 1944(昭和19)年 筑西市(神林コレクション)蔵
そしてもちろん、泉屋博古館東京が所蔵する、
波山の代表作《葆光彩磁珍果文花瓶》も出展されています。
重要文化財《葆光彩磁珍果文花瓶》 1917(大正6)年 泉屋博古館東京蔵
こちらは、大正6年の日本美術協会展に出展され、
すべての出品作の頂点に立つ一等賞金牌に輝いた逸品。
2002年には近現代陶芸作品として初めて重要文化財指定を受けた作品です。
住友家15代目当主・住友春翠は、
この《葆光彩磁珍果文花瓶》を気に入り、
当時の価格としては破格の1600円で購入したのだとか。
なお、大正10年の大卒初任給は50円とのこと。
衝撃的な金額です。
とは言え、この作品は、
高いからスゴいのではありません。
スゴいから高いのです。
まずは何といっても、「葆光彩磁」という独自の技法。
長年に及ぶ研究の末に編み出した波山の代名詞ともいえる技法です。
「葆光」とは、光を包み隠すという意味だそうで、文字通り、
柔らかいベールで光を包み隠しているような独特な光沢を放つのが特徴です。
有田焼のようなツヤツヤ光る磁肌と違い、
葆光彩磁の磁肌はマットで、内側からほわッと光を放っているかのよう。
朝の爽やかな空気をまとっているような印象です。
また、画像ではそこまで伝わらないでしょうが。
実物は細部に至るまで、恐ろしいくらいに、
ビッシリと細かく文様が描き込まれています。
(パッと見、青い地に見えるところは、青海波文や毘沙門亀甲文で埋め尽くされています)
それはもはや、超絶技巧の域。
住友春翠が1600円で購入したのも納得の逸品です。
文化勲章を受章して、1600円という高値で作品が売れて。
さぞかし裕福な生涯を送ったかと思えば、さにあらず。
今でこそ珍しくないですが、
波山のように個人で作陶する人間、
いわゆる陶芸家は当時存在していませんでした。
(陶工といった職人はいましたが)
誰も歩んだことがない道を進んでいる上、
自分がとことん納得した作品以外は壊してしまったため、
家計は常に火の車、板谷家は常に経済的に苦しかったそうです。
こちらは、その証拠ともいうべき(?)、波山自身が壊した陶片のごく一部。
ちょっとくらいの汚れでも、残さずに全部壊してやる。
逆Mr.Childrenですね(←?)。
と、家族にとっては、少々難のあった波山ですが、
地元民からは今でも絶大な人気を誇っているようで。
というのも、波山は下館に住む80歳以上全員に、
お祝いとして、自作の鳩杖をプレゼントしていたのだそう。
また、終戦後には、下館の戦没者遺族全員に、
いざという時には売って生活の足しにするよう、自作の観音像を贈っていたそうです。
なんて素敵なエピソード。
波山に後光が差して・・・いや、葆光が差して見えてきました。
ちなみに。
“天性のカラリスト”と紹介されていた波山だけに、
色彩が溢れる作品はどれも、本当に素晴らしかったですが。
個人的に一番印象に残ったのは、こちらの《黒曜磁棗形花瓶》です。
ブラックでメタリック。
その輝きは、まるで近未来のアイテムのよう。
Appleかダイソンの新製品を彷彿とさせるものがありました。