多治見市モザイクタイルミュージアムに行ってきました。
施釉磁器モザイクタイル発祥の地にして、
今なお全国一の生産量を誇る多治見市笠原町に、
2016年にオープンしたモザイクタイル専門のミュージアムです。
特徴的な外観から、ピンと来た方もいらっしゃるでしょうが。
建築を設計したのは、ジブリみたいな建築でお馴染み(?)の藤森照信さん。
この形は、タイルの原料となる粘土を切り出す採土場をイメージしているそうです。
なお、外壁には、茶碗やタイルの破片が嵌め込まれています。
もちろん、外壁だけなく、内部もタイル尽くし!
階数表示もタイルですし、
手すりのカバーもタイルですし、
トイレの案内もタイルです。
そして、トイレの内部も、
びっしりとタイルが敷き詰められていました。
・・・・・・・いや、それに関しては、
このミュージアムに限らず、どこのトイレもそうですね。
さてさて、外観からはわからないでしょうが、
実は、このミュージアムは4階建てとなっています。
トンネルのような階段を使って、4階に上がると、
そこには、床一面壁一面モザイクタイルの世界が広がっていました。
こちらで展示されているのは、多治見市笠原町の住宅や工場、
全国の銭湯や旅館などから集めてきた絵付きタイルやモザイクタイル。
(なぜかマリリン・モンローが2つも!)
それと、懐かしの台所や流しです。
こうして改めて観てみると、
生活のいたるところに、モザイクタイルはあるのですね。
いや、あったのですね。
これまでほとんど、というか、まったく意識していなかったですが、
この展示を観て、はじめてモザイクタイルが消えゆく現状に寂しさを感じました。
と、それはさておき。
続く3階の展示室で開催されていたのは、
“日本のタイル100年―美と用のあゆみ”という企画展。
今でこそ、「タイル」という言葉が定着していますが、
実はその昔、建物の表面を覆う薄板状のやきものは、
敷瓦や腰瓦、張付煉瓦、化粧煉瓦など、さまざまな名称で呼ばれていたそうです。
しかし、それでは、いろいろと不便があったため、
1922年4月、全国の業界関係者が東京・上野に集まり、
今後は統一的にタイルと呼ぶことにしようと決議しました。
それからちょうど100年目の節目の年に開催される展覧会です。
会場には、日本にまだタイルという言葉が無かった時代の貴重なタイルもちらほら。
それらの中には、江戸時代に建立された西本願寺の転輪蔵、
その内部に張られている腰瓦《柿右衛門色絵応龍文陶板》と同種の実物も。
たかがタイルと言う勿れ。
奉納品として作られたものであるため、
西本願寺以外に伝世しているものはほぼ無く、
これほどまでに間近で観られるのは、超レアケースなのだとか。
また、日本のタイルの歴史がわかる年表型の展示コーナーも。
その中でひときわスポットが当てられていたのは、
やはりミュージアムのある多治見市笠原に関りが深い施釉磁器モザイクタイル。
表面に釉薬を施したタイルです。
その量産化がどれだけ大変なことだったのか、
パネルだけでは、イマイチ上手く伝わっては来なかったのですが。
とにかく、タイル業界的には、昭和10年に山内逸三なる人物が成し遂げた、
「施釉磁器モザイクタイルの量産化」はエポックメイキングなことだったようです。
その証拠に(?)、会場の一角には、
山内逸三なる人物と2ショット写真がパネルも用意されていました。
・・・・一体どんな人が、
ここで記念撮影をするのでしょうか??
知ってるようで知らない、タイルに関するあれこれ。
展覧会を通じて、いろいろ勉強になりましたが、
もっともタメになったのは、人の家の玄関でよく目にしていたこのタイルに関して。
その名称は、栄光というそうです。
そんな壮大な名前が付けられていたとは!
これから、ゆずの『栄光の架橋』を聴くときには、
このタイルの柄が頭に浮かんできそうな気がします。
ちなみに。
4階の常設展示と、3階の企画展は、
どちらも大変興味深い展示だったのですが。
2階の「タイルのある生活」という展示空間に関しては、う~ん。。。
ミュージアムというよりも、ユザワヤ。
あるいは、パナソニックのショールームです。
実際にタイルも市販されていましたが、
ミュージアムでこんなことをしなくてもいいような・・・(笑)