現在、埼玉県にある遠山記念館では、
“江森天寿と石川梅子 夭折の画家と県内初の女流画家”が開催されています。
お恥ずかしながら、江森天寿も石川梅子も、
どっちの画家の名前も存じ上げませんでしたが。
なんでもお二人とも埼玉県にゆかりある日本画家のようです。
さて、会場でまず紹介されていたのが、江森天寿(1887~1925)。
東京美術学校を優秀な成績で卒業の翌年に、華々しく画壇デビューを果たします。
その後も、文展をはじめ、多くの美術展で入選を繰り返しました。
周囲より、さらなる飛躍を期待されたものの、
結核により、38歳という若さで生涯を閉じました。
会場では、遠山記念館が所蔵する、
そんな江森天寿の作品が一堂に会しています。
写真撮影は不可でしたが、
埼玉県立近代美術館が所蔵する江森作品も2点、特別に出品されていました。
その2点とも、どことなくアールヌーヴォーを思わせる端正な作品でしたが、
遠山記念館が所蔵するものは、それとは真逆のタッチの南画風の作品が多かったです。
個人的に感じたのは、
江森天寿は、植物を描くのは得意なようですが、
鳥を描くのは、ちょっと苦手だったのではないかということ。
特にそれを感じたのは、カワセミを描いたこちらの絵です。
いくらなんでも、くちばしが長すぎるような・・・。
ちなみに。
担当学芸員さんも、鳥の描写に限らず、
江森天寿の作品には思うところがあるようで。
キャプションにときどき、それが滲み出ていました。
例えば、こちらの《蘇鉄》という作品に対して。
そのキャプションには、
「余白を考えない収め方」や、
「右下の雀は知らんぷりの体」とありました。
また例えば、こちらの《春の訪れ》という作品にいたっては・・・・・
キャプションに、「梅の花枝と瓦の大きさのバランス、
その位置関係も作為がわからない作品です。」とありました。
まぁ、確かに・・・。
続いて紹介されていたのは、石川梅子(1890~1973)。
展覧会では、県内初の女流画家と紹介されていました。
江森天寿の3コ下の石川梅子は、
実は、自宅が2.5㎞ほどしか離れていなかったそうで。
そんな縁もあって、梅子は天寿に入門し、
本格的な日本画の手ほどきを受けていたそうです。
やがて師弟関係から、恋愛関係に発展。
二人は結婚を望むのですが、
天寿の母に猛反対されてしまいます。
最終的に、天寿は母の命に従い、別の女性と結婚。
天寿の子を身ごもっていた梅子は、天寿の死後、
日本画家を続けながら、女手一つで女児を育てたそうです。
その顛末を知った上で、作品を観たせいもあるのでしょうか。
優柔不断な(?)天寿の作品よりも、
圧倒的に梅子の作品のほうに惹かれました。
特に、《紅蓮》と《秋》は絶品!
華やかさや品もありつつ、力強さもありました。
この両作品に出逢えただけでも、
展覧会を訪れた甲斐があったというものです。
ちなみに。
梅子はもともと日本画家ではなく、
15歳の時より、ミシン刺繍なるものに取り組んでいたそうで。
展覧会では、そんな梅子のミシン刺繍作品も紹介されていました。
ミシン刺繍と聞いて、想像していたものの数倍素晴らしかったです。
実際、梅子のミシン刺繡は評判だったそうで、
わずか16歳でミシン刺繍の展覧会も開催しているほどだったそう。
こちらの《水汲みの女性》という作品にいたっては、
刺繍と言われなかったら、気づかなかったレベルです。
歴史にifはないですが。
もし、梅子が日本画家に転向せず、
ミシン刺繡の道を究めていたとしたなら、
もっと日本美術界に名を残す存在になっていたのかも。