現在、DIC川村記念美術館で開催されているのは、
“マン・レイのオブジェ 日々是好物|いとしきものたち”という展覧会。
アメリカとパリで活躍したダダイストで、
シュルレアリストのマン・レイの展覧会です。
(注:館内の写真撮影は、特別に許可を頂いております。)
マン・レイと聞いて、まず思い浮かべるのは、
やはり、これらの写真作品ではないでしょうか。
マン・レイ=写真家。
そんな印象が強いかもしれませんが、
実は、マン・レイ自身は、写真は人脈を広げるため、
致し方なく、撮り続けていたにしか過ぎないそう。
『写真は芸術ではない』というタイトルの写真集も発表しているほどなのだとか。
では、マン・レイは本当は何になりたかったのか。
それは、画家。
晩年まで一貫して画家として認められることを願っていたそうです。
展覧会場の冒頭では、写真を始める前の、
貴重なマン・レイの初期の絵画作品も多く紹介されていました。
しかし、写真も絵画も、今展の主役ではありません。
今回の展覧会の主役は、マン・レイのオブジェです。
オブジェに特化したマン・レイの展覧会は国内では初めて。
日本全国からマン・レイのオブジェが、約50点集結しています。
数あるマン・レイのオブジェの中で、
比較的知られているのは、1921年に制作された《贈り物》。
アイロンに14本の鋲を取り付け、
アイロンとしての役割を無効化(?)させた作品です。
今展では、そんな《贈り物》が3点並んで展示されています。
・・・・・・あれ?何でいくつもあるの?
そう思った方もいらっしゃるでしょうが。
この作品に限らず、マン・レイはその生涯で、
同じテーマでいくつも繰り返しオブジェを制作したのだそう。
同じように作っても、どこかちょっと違う。
どうやらそれを楽しんでいた節があるようです。
ちなみに、会場に並んだ3点の《贈り物》は、
60年代と70年代にそれぞれ再制作されたもの。
1921年当時は、この手のアイロンが主流だったでしょうが、
さすがに70年代ともなると、こんなアイロンは売っていなかったはず。
再制作するのはさぞかし大変だったことでしょう。
また、マン・レイのオブジェの中で、
もっとも有名と思われるのが、《破壊されざるオブジェ》。
メトロノームに、別れた元カノの眼の写真を取り付けた作品です。
会場には、国内にある4点が集結しています。
さて、実はこの作品、1923年に発表された時には、
《破壊されるべきオブジェ》という真逆のタイトルが付けられていました。
ところが、1956年の展覧会に出品した際に、
無政府主義者の若者たちによりマジで破壊されてしまったそう。
(↑昔から、ジャスト・ストップ・オイルみたいな輩はいたのですね・・・)
その一件以来、再制作したのものには、
《破壊されざるオブジェ》というタイトルを付けたのだとか。
マン・レイのウイットが感じられます。
なお、マン・レイのウイットが感じられるタイトルの作品は他にも。
例えば、こちらの《ブルー・ブレッド》。
(島根県立美術館が所蔵しているものでオリジナル。青く塗られたフランスパンは本物だそうです!)
フランス語のタイトルは、「Pain peint」。
「色を塗られたパン」という意味で、
声に出すと「パン パン」となるそうです。
つまり、言葉遊びですね。
それから、こちらのパレットが天板になったテーブルの作品。
パレット+テーブルで、
《パレッターブル》と名付けられています。
言葉遊びというか・・・ダジャレというか・・・。
これまでマン・レイに対し、彼の写真作品の印象から、
オシャレでスタイリッシュな人という印象を抱いていましたが。
実は、意外とお茶目でダジャレ好きな人物だったのでは?
その疑念は、展覧会の最後に紹介されていた、
82歳のマン・レイを映したポートレートを目にして確信に変わりました。
その写真は、1972年のパリ国立近代美術館でのマン・レイ展の会場で撮影されたもので。
マン・レイは《破壊されざるオブジェ》の改良版、
《永遠のモティーフ》を頭の上に乗せ、笑顔を見せています。
これは良い写真なので、是非、会場で実物を観て頂きたい!
いい意味で、マン・レイのイメージがガラッと変わる展覧会です。
そうそう。ダジャレといえば、
こんなマン・レイ展グッズが販売されていました。
オリジナルの瓦せんべいです。
その表面に書かれているのは、『MAN員御RAY』の文字。
贈り物に最適なグッズです。