三鷹市美術ギャラリーで開催中の展覧会、
“合田佐和子展 帰る途もつもりもない”に行ってきました。
(注:展示室内の写真撮影は、特別に許可を得ております。)
こちらは、高知出身の美術家・合田佐和子の没後初となる大規模回顧展です。
都内で彼女の個展が開催されるのは、
2003年の渋谷区立松濤美術館での個展以来、実に20年ぶりとのこと。
ちなみに、「あいだ」ではなく、「ごうだ」です。
デビュー時は、幼少からの収集癖と、
ビーズ手芸を融合させたような「オブジェ人形」を発表していた合田佐和子。
次第にどこか退廃的で、
エロティシズムも感じさせる立体作品を制作するように。
その独創的な作品の世界観に、本人のビジュアルの美しさが加わって、
特に1960年代から80年代にかけては、メディアに頻繁に取り上げられていたそうです。
今で言えば、Chim↑Pomのエリイに近い感じでしょうか。
当時の術会は、まだまだ男性作家が大多数を占めていました。
そこで戦うべく、あえて女性性を武器にし、
セルフプロデュースしつつ、ポジションを築いたそうです。
と、1970年代に、そんな彼女に転機が起こります。
祖父より「祖母の若い時の写真を描いてほしい」と頼まれ、
ためしに描いてみたところ、思いがけず、上手く描けたのだそう。
そこから、独学で油彩画を描くようになり、
写真を見ながら描くというスタイルを確立しました。
主に描いたモチーフは、往年の銀幕俳優たち。
といっても、ただ単に写真を丸写しするのではなく、
色調を変えてみたり、時には大胆にアレンジしてみたり。
独特の世界観は健在です。
いや、むしろさらにパワーアップしていたような。
何はともあれ、この絵画のスタイルで、
彼女は「異色の女性美術家」としての地位を確立したのです。
が、やはりというか、なんというか、
これで終わらないのが、合田佐和子。
その後、エジプトに1年近く滞在するのですが、
それを機にスタイルがガラッと変わって、シュルレアリスム風に。
80年代後半に入ると、頭に思い浮かべた言葉に反応して、
勝手に手が動き出すとう「オートマティズム(自動筆記)」現象が起こるように。
色調もグレーっぽいものから、パステル調へと変化します。
なお、2005年頃からは体調を崩すことが増えたそうで、
体力の低下から、油彩画の制作頻度は徐々に減っていったそう。
そんな中でも最晩年まで描き続けたのが、色鉛筆画。
これまで発表される機会はなかったそうですが、
展覧会のラストで、それらが初公開されていました。
正直なところ、合田佐和子に関しては、
何かしらの展覧会で作品を1、2点、目にした程度で、
これといった印象は、特に何もなかったですが。
いやはや、こんなにも多彩な人物だったとは!
その上、魅力的な人物だったとは!
天は彼女に二物も三物も与えたようです。
近年、美術界の動向の一つとして、
女性作家の再評価が高まっていますが。
この展覧会もそれに連なる良質な展覧会でした。
ちなみに。
装丁やレコードのジャケット、
さらには、キグレサーカスのポスターまで。
本業の美術の制作だけでなく、
さまざまな仕事をこなした合田佐和子。
日本のアングラ演劇を代表する2つの劇団、
「状況劇場」の唐十郎と「天井桟敷」の寺山修司らと協同し、
ポスター原画や舞台美術も数多く手がけていたそうです。
それらの中でどうしても気になってしまったのが、天井桟敷の『奴婢訓』のポスター。
そのキャストに何気なく目をやったところ、
超意外な人物の名前があり、つい二度見してしまいました。
まさか、あの20世紀最大のシュルレアリストがアングラ演劇に出演していたなんて!!
・・・・・と興奮した次の瞬間、思い違いに気づきました。
ダリじゃなくて、タリでした。
誰だよ。