かつて墨田区にあったセイコーミュージアムが、
2020年に、創業の地である銀座に移転していたようです。
名前もセイコーミュージアムから、セイコーミュージアム銀座に。
銀座は仕事柄よく訪れているのに、その事実をまったく知りませんでした(汗)
というわけで、早速、予約を取って訪れてきました。
入場料は、無料。
ミュージアムは、地下1階から5階まで、
異なるコンセプトを持つ6フロアで構成されていました。
1700年代に清朝で作られた日時計や、
江戸時代に日本で作られた和時計をはじめ、
貴重な時計も数多く紹介されていましたが。
そこはやはり、時計博物館ではなく、セイコーミュージアム。
セイコーの創業者で「東洋の時計王」と称された、
服部金太郎の生涯をフィーチャーした展示フロアや、
(↑服部金太郎の雅号は、「杜渓(トケイ)」でした)
セイコーがこれまでに作った商品を展示フロアがメインとなっています。
(↑懐かしいキャラクター系目覚まし時計も数多く展示されています)
今でこそ、日本人は世界一時間を厳守する国民と言われていますが、
実は明治時代になるまでは、日本人は時間に対してルーズだったそう。
あるお雇い外国人が、「日本人の悠長さといったら呆れるくらいだ」と嘆いたほどだったとか。
そんな中、わずか13歳で、時計業を志すことを決心したのが、服部金太郎だったのです。
彼が創業した「精工舎」は、明治32年に日本で初めての目覚まし時計を作りました。
大正2年には、日本で初めての腕時計を作りました。
また、意外と知られていないかもしれませんが、
日本で初めてのテレビCMを放送したのも、セイコーでした。
ちなみに。
その日本初のCMですが、記念すべき一発目の放送は、
映像が裏返しに映し出されてしまった上に、音声も流れなかったそうで。
日本初の放送事故とも言われているそうです。
そんな日本初尽くしのセイコーですが、
昭和44年に世界初の快挙も成し遂げています。
それは、世界初となる量産型クオーツ腕時計の販売です。
「アストロン」と名付けられたこの腕時計は、
従来の腕時計と比べて、100倍以上の精度を可能にしたのだとか。
発売時の価格は、45万円。
当時は、大衆車よりも高価だったそうです。
また、セイコーが世界に誇る技術は、
これまでに何度となく、オリンピックで発揮されています。
1992年のバルセロナオリンピックでも、
オフィシャルタイムキーパーを担っていたそうで。
こちらの競泳用のスタート台は・・・・・
「いままで生きてきたなかで、いちばん幸せです」という名言でお馴染みの、
あの岩崎恭子さんが200m平泳ぎ決勝で、実際に使用していたものなのだそうです。
このような日本の近代技術史的に貴重なお宝の数々が観られて、
決して一番ではないですが、何十番目か何百番目かに幸せでした。
ちなみに。
展示されていたアイテムの中には、
今改めて見てみると、画期的なものも少なくありませんでした。
例えば、昭和59年に発売されたというピラミッドトーク。
この時計の正面には、文字盤がありません。
一応、底面にデジタルパネルがあるようですが、
時刻を知りたい際には、ピラミッドのトップを押すのだそうです。
すると、音声で時刻を知らせてくれるのだとか。
ある意味、Siriの先取りといえるでしょう。
それから、同じく昭和59年に発売されていたのが・・・・・
世界初のコンピュータ腕時計、略して「腕コン」です。
この腕コンには、2000文字までを記憶させることが可能だったそうで。
そのデータは、付属のキーボードで入力できたようです。
ある意味、Appleウオッチの先取りといえるでしょう。