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Channel: アートテラー・とに~の【ここにしかない美術室】
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明治美術狂想曲

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現在、静嘉堂@丸の内では、

“明治美術狂想曲”が開催されています。

今でこそ当たり前に使っている「美術」という言葉。

実は意外にもその歴史は浅く、明治時代に作られたものでした。

さらに、博覧会が初めて開催されたのも、

美術館が初めてオープンしたのも、明治時代。

日本の美術の歴史にとって、もっとも重要な時代と言っても過言ではありません。

そんな明治時代の美術のトピックの数々を、

静嘉堂のコレクションを通じて紹介する展覧会です。

 

まず紹介されていたのは、幕末から明治にかけての錦絵。

 

(注:展示室内の写真撮影は、特別に許可を得ております。)

 

 

時代を反映する錦絵だけに、その画面の中には、

蒸気船や欧米人など、文明開化を象徴するモチーフが描かれています。

 

河鍋暁斎の《地獄極楽めぐり図》にも、

文明開化らしいモチーフが描き込まれていました。

 

 

 

全40図からなるこの画帖は、暁斎の有力なパトロンの依頼により描れたもの。

そのパトロンの愛娘が14歳で急逝した際に、弔うための供養画として描かれました。

あの世へ旅立った愛娘が冥界の各所を巡り、

極楽に到着するまでの道のりがユーモラスに描かれています。

その中でひときわ目を惹くのが、汽車のようなもの。

 

 

 

それも、ディズニーっぽい汽車です。

そう思って、よくよく見てみると・・・・・

 

 

 

その背後にディズニーランドっぽいものも描かれていました。

トゥモローランド?

 

ちなみに。

《地獄極楽めぐり図》を収める箱も併せて展示されていたのですが、

この箱の表面の絵を描いたのは河鍋暁斎ではなく、漆工家の柴田是真とのこと。

 

 

 

今展では、この箱とは別に、

柴田是真の作品が5点も出展されていました。

おそらく、今回の最多出場者(?)です。

そんな是真の作品の中でとりわけ印象に残っているのが、《変塗絵替丼蓋》

 

 

 

江戸時代の《赤地金襴手宝相華雲鶴文鉢》の蓋として作られたものです。

驚くべきは、10点すべて違う技法で作られていること。

見るからに、漆だとわかるものもありますが、

中には、パッと見は、木としか思えないものもあります。

が、しかし、すべて漆塗り。

 

 

 

木目や木の節のように見えるもの、

さらに、金属製の鎹に見えるものも、すべて漆芸で表現されています。

驚くべきテクニックです。

 

今展には他にも、明治時代の超絶技巧作品が数多く出展中。

超絶技巧ファンなら抑えておきたい展覧会となっています。

 

 

 

さらに、静嘉堂のマスターピースともいうべき、

国宝《曜変天目(稲葉天目)》も出展されています。

 

 

 

実は、明治時代に西洋文化が流入したことで、

伝統文化の軽視や排除が日本の各地で散見されたそう。

その風向きを変えたきっかけの一つが、

明治13年に内務省博物局が開催した「観古美術会」でした。

会員のたちが持ち寄った自慢の古美術品を、

広く一般の人に5銭の観覧料で公開したのだとか。

その時に出品された古美術品の一つが、

何を隠そう、この《曜変天目(稲葉天目)》でした。

もし、《曜変天目(稲葉天目)》が出品されていなかったら、

一般の人々が古美術に関心を持たず、西洋文化への偏向が進んでいたかもしれませんね。

 

 

そうそう、博覧会といえば、展覧会では、

明治28年に京都で開催された第四回内国勧業博覧会のために、

制作された屏風絵の数々も展示されていました。

それらの屏風絵を制作する際に資金援助したのが、

三菱第ニ代社長で静嘉堂文庫を創設した岩崎彌之助です。

椿椿山の弟子であった野口幽谷による《菊鶏図屏風》もその際に制作されました。

 

 

 

とても華やかで品のある絵ですが、

ひよこ・・・というか、ミニ鶏がちょっと怖いです。

 

 

 

それから、近代絵画として初めて重要文化財に指定された、

橋本雅邦の《龍虎図屛風》も第四回内国勧業博覧会のために制作されたもの。

 

 

 

重要文化財といえば、今ちょうど東京国立近代美術館で、

明治以降の重要文化財が集結した展覧会が開催されていますが。

 

 

 

そちらを蹴って(?)、こちらの展覧会に出品されているようです。

“重要文化財の秘密”をご覧になった方は、

サテライト会場(??)であるこちらの展示もお見逃しなきように。

 

 

さてさて、展覧会のラストで紹介されていたのは、

いわゆる「腰巻事件」で知られる黒田清輝の《裸体婦人像》でした。

 

 

 

この作品が初出品されたのが、明治34年の第6回白馬会展。

当時はまだ裸体画に対する理解が少なく、

風俗壊乱を理由に下半身部分が布で覆われたのです。

ただ、警察の強制的な措置ではなかったようで、

もともとは美術関係者のみが鑑賞できる「特別室」での展示が打診されたそう。

しかし、黒田が一般来場者への公開を希望したため、腰巻で覆い隠されたそうです。

ただ、黒田自身はこの公開に納得してはいなかったようで、こんな言葉を残しています。

 

「今度はとうとう幕を張られました(中略)

 最も困難で最も巧拙の分るる所の腰部の関節に

 力を用いたつもりであるが、其肝腎な所へ幕を張られた訳だ」

 

もっとも力を入れたところが、隠されてしまったなんて。

さぞ悔しかったことでしょう。

 

 

ちなみに。

この展覧会の図録の表紙に採用されているのも、黒田の《裸体婦人像》

ただし、腰巻のような帯のせいで、肝腎な所が今回も隠されてしまっています。

 

 

 

令和の「腰巻事件」です。

 

 

 

 

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