今年2023年は、洋画家・朝井閑右衛門の没後40年の節目の年。
それを記念して、彼と関わりの深い横須賀美術館にて、
現在、“没後40年 朝井閑右衛門展”が開催されています。
朝井閑右衛門という名前だけを聞くと、
江戸時代や明治時代に活躍した画家のような気がしますが、
1901年生まれで、1983年に82歳でこの世を去った昭和に活躍した洋画家です。
また、生まれた時の名前は普通に (?) 、浅井実です(のちに、閑右衛門に改名)。
若くして成功をおさめ、第一線で活躍していながらも、
常に中央画壇からは距離を取っていたようで、個展もおこなわず、
画集も出さず、その異端児ぶりから、「野人画家」と呼ばれていたのだとか。
今回の回顧展では、そんな朝井閑右衛門の貴重な初期の油彩画から、
(注:展示室内の写真撮影は、特別に許可を頂いております。)
実は生涯にわたって描いていたという水墨画の数々、
朝井閑右衛門の代名詞とも言うべき、
絵の具が盛り盛りな油彩画の数々が出展されています。
その数、資料も含めて約200点!
絵の具も盛り盛りなら、出展数も盛り盛り。
まさに、朝井閑右衛門の没後40年を記念するに相応しい展覧会です。
ちなみに。
展覧会の目玉とも言うべきは、
メインビジュアルに使われている《丘の上》(神奈川県立近代美術館蔵)。
昭和11年の文部省美術展覧会に出品され、
文部大臣賞を受賞した朝井閑右衛門の出世作です。
他の作品と見比べてみれば、その大きさは歴然。
高さは約268㎝、横幅は約338㎝という巨大な作品です。
あまりにも絵が大きかったため、アトリエから出すことが出来ず、
窓ガラスを取り払い、窓枠の中央の柱を切ることで、なんとか外に出せたそうな。
なんだか昔話のエピソードのようです。
また、あまりにも絵が大きかったため、
会場の搬入口からも入れられなかったようで。
特例で正面入り口から搬入したのだそうです。
その際に、絵に傷がついてしまったようで、
ちゃんと審査員に許可を得て補修をしたそうなのですが、
審査前の作品への加筆は禁止されているため、世間的には炎上騒ぎに。
今年のR-1グランプリばりに、疑惑のチャンピオンとなってしまったそうです。
さてさて、2021年に練馬区立美術館で開催された“電線絵画展”において、
「ミスター電線風景」というあだ名が付けられたほどに電線の絵を多く描いた朝井。
今回の展覧会では、その中から厳選された計3点の電線絵画が紹介されていました。
電線1本1本が太すぎて、
言われなければ電線には見えません。
電線というよりも、ハイウェイ。
なんだか近未来の世界のようにも感じられます。
さらに、今回の展覧会では、朝井閑右衛門が、
友人をモデルに描いた肖像画にも焦点が当てられていました。
朝井閑右衛門が描いているだけに、
一つとして、普通の肖像画はありません。
どれも独特。どれも独自路線。
モデルは生身の人間ではなく、
人形と化したものを描いているような。
そんな不思議な印象を受けました。
個人的にもっとも気になったのは、
写真左の《詩集『月に吠える』頃の萩原朔太郎》(前橋文学館蔵)。
見れば見るほど、いしだ壱成に似ていました。
なんだかんだあって、やつれている頃の。
ちなみに。
最後の展示室に限っては、全面的に写真撮影がOKです!
こちらでは、朝井閑右衛門が亡くなる5日前に、
完成させた絶筆《薔薇(嘉靖青花唐子紋中壺)》(横須賀美術館蔵)や、
彼のアトリエに実際にあった人形や木馬などが展示されていました。
それらの中には、朝井が蒐集していたという骨董の壺も。
この龍の姿、何かに似ているような・・・??
『サザエさん』に登場するカツオの担任に似ているような。