世田谷美術館で開催中の展覧会、
“麻生三郎展 三軒茶屋の頃、そしてベン・シャーン”に行ってきました。
(注:展示室内の写真撮影は、特別に許可を得ております。)
こちらは、戦中から戦後にかけて活躍した画家で、
あの奈良美智さんの恩師に当たる麻生三郎の展覧会です。
池袋モンパルナスの画家の一人として紹介される機会の多い麻生三郎。
しかし、麻生が豊島区に住んでいたのは、10年に満たず、
35歳から59歳にかけての約25年は世田谷区の三軒茶屋に住んでいたそうです。
今回の展覧会では、そんな麻生の三軒茶屋時代をフィーチャー。
“三軒茶屋の頃”に描かれた油彩や素描など約110点が紹介されています。
まず紹介されていたのは、三茶に移り住んだ当初の作品群。
この当時の麻生が繰り返し描いていたのは、妻や娘でした。
色調こそ暗いですが、作品からは確かに、
妻や娘に対する愛情のようなものがじわじわと感じられます。
太陽や日向のような温かさ、というよりも、
例えるならば、熾火のような温かさといった感じでしょうか。
1950年代半ばになると、画題は一変し、
目を向ける対象が家族から外の景色へとシフト。
この頃の麻生が繰り返し描いた「赤い空」シリーズは、戦後復興期の代表作とされています。
麻生三郎展を訪れているので、
麻生三郎の作品だと認識できましたが。
もし、ノーヒントでこの頃の作品を観たら、
ゲルハルト・リヒターの《ビルケナウ》と勘違いしてしまったかも。
あるいは、大竹伸朗さんの作品と勘違いしてしまったかも。
それくらいに、今観ても新鮮な、
いや、今だからこそ新鮮に感じる作品でした。
ちなみに。
このリヒター風、大竹伸朗風(?)な作風は、
三軒茶屋の頃、ほとんど変わらなかったようで・・・。
展覧会のラストまで、終始こんな感じでした。
ただ、パッと見は、同じような作品に思えますが、
抽象画ではないので、しばらく観ていると像が浮かび上がってきます。
まるで、目が良くなるマジック・アイのように(←?)。
なので、サーっと駆け足で観るのではなく、
なるべく時間をかけて、じっくり向き合うことをオススメします。
「時短」ブームの現在を逆行するような、「時長」の展覧会です。
なお、展覧会のサブタイトルに、“そしてベン・シャーン”とあるように、
展覧会では、麻生が強く惹かれたアメリカの画家ベン・シャーンの作品も紹介されています。
実はこれらは、麻生自身の旧蔵品。
1975年に《松葉杖の女》(写真中央)を購入して以来、
長年をかけてベン・シャーン作品を集めていたそうです。
これまで、麻生三郎とベン・シャーンを結び付けて考えたことはなかったですが。
展覧会で紹介されていた麻生の素描を、
改めて観てみると、ベン・シャーンに通ずるものを感じました。
もはや和製ベン・シャーンです。
ちなみに。
展覧会では、麻生の装丁の仕事にも焦点が当てられていました。
作風的に、あまり需要が無さそうな気がしていましたが(←失礼!)。
意外や意外、装丁の仕事も多くこなしていました。
そんな麻生の装丁の仕事の中には、こんなものも。
囲碁の月刊誌『囲碁クラブ』です。
囲碁とはまったく関係ない表紙絵。
定石から外れた表紙絵です。